創世記34

「ヤコブの息子たちは、シェケムが自分たちの妹ディナを汚したので、シェケムとその父ハモルをだまそうとして、」創世記34:13

ある本*は「父が父なら、またその息子も」とコメントしています。父ヤコブの対応のしかたを息子たちも身に付けてしまったということでしょうか。何より、神抜きで自分達の判断をしてしまったことが失策でした(34章には「神」という言葉が出てきません)。神に怒りを訴えていたら、相談していたら、違う展開になっていたでしょう。

ーー祈りについてもっともよく用いられる表現は、「神との対話」でしょう。対話であるとは、自問自答ではないという意味です。**ーー

今日私が「自問自答」をやめ、神に判断を仰ぐことは何でしょうか。


祈り:全知全能の神様、_______について自問自答をやめます。あなたにゆだねたいです。ひとりでは難しそうなら、_____さん(人名)に / ____(あるいは場所)で、一緒に祈ってもらいます。祈りの友を与えてくださり感謝します。アーメン






* NIV Study Bible, Zondervan
**来住英俊「詩編で祈る」、女子パウロ会