創世記6

「しかし、ノアは主の心にかなっていた…ノアは正しい人で、彼の世代の中にあて全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」創世記6:8−9

罪の本質は「自己中心」だと、少し前の礼拝メッセージで聞きました。6章では自己中心に陥った人々が堕落した様子が記されています。人の目には勇士だった「ネフィリム(体格の大きな人、巨人)」も、ヘブル語では「堕落した者」です。

その中でもノアは「主の心にかなっていた」「神とともに歩んだ」と対照的です。賢かったからでも、強かったからでも、偉業を成し遂げたからでもありません(まだ箱舟を作る前です)。ノアの「神中心」の日々が神様に喜ばれたからです。私たちの平凡な歩みも、神様は覚えていてくださいます。

祈り:神様、私たちの思いや生き方を全て知っていてくださり感謝します。教会の一人ひとりが神中心に歩めますように。今日何か決める時には、あなたと共に判断できますように。神中心の一日となるよう助けてください。アーメン