創世記11

「それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで主が全地の話しことばを混乱させ、そこから主が人々を地の全面に散らされたからである。」創世記11:9
 
塔を建てるのは、人間が「自分たちのために」「名をあげよう」(4節)と、自分の力で「企てること」(6節)でした。そこに高慢があったがゆえに、神によってことばの混乱と離散が起こされました。悲しい記事ですが、悲しみに終わらないのが神様の素晴らしさです。人々が全地に散らされたのも、やがて福音が全地に広がるために神が用いられたと、カイロスコースで学びました。悲しみも主にあって良いことに用いられます!こうしたことを経て、明日はいよいよアブラムの登場です。

祈り:神様、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう(ヤコブ4:15)」と宣言して生きていけますように。みこころを歩む一日が一番幸せだと、愛する兄弟姉妹も私自身も今週実感できますように。アーメン