Ⅰコリント9

Ⅰコリント9、詩篇23-25

「競技をする人は、あらゆることについて節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」Ⅰコリント9:25

パウロは福音を述べ伝えることに情熱的であった。命がけであり、福音を伝えないなら自分はわざわいだ、とまで言っている(16節)。経済的に支えられてもそうでなくても、人がどう評価しようとも、神から委ねられた務めだから自発的にそうしている、と言っている。
ちょうどそれは、オリンピックや大きな大会のために節制をし、厳しい練習をし、全てをかけて臨む選手のようである。一流のアスリートの生活態度とブレない目標の定め方はさすがと思わされるが、パウロは福音を宣べ伝える者として、同じ態度と行動で臨むことを自分にも、またクリスチャンたちにも勧めている。

主に仕える奉仕は、経済的に恵まれないこともある。しかし、もし神が私たちを福音のトップアスリートとして召してくださったのなら、見方が変わってくる。無給であってもその力を最大限発揮したいと思うだろう。神の伝道チームの一員として、恥じない態度と憧れとなる深い人格的な喜びを持って仕えたい。必要が与えられたら、それは大きな恵みと主に感謝して受け取りたい。