Ⅰコリント12

Ⅰコリント12、詩篇31-32

「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。」Ⅰコリント12:27

教会の中で様々な人がいること、そして様々な持ち味があることを、パウロは述べている。
そして、賜物は様々だが、いずれも同じ御霊の働きによって与えられていることを確認している。
自分の賜物を知るのはとてもワクワクすることである。しかし、自分にない賜物を持っている人を見て自分を卑下しがちである。あるいは、自分に馴染みのない賜物の現れを見て批判したりつまずいたりするという傾向もある。預言や異言に関する現れについては、特にその傾向があるように思う。

私自身も、見慣れない激しさや雰囲気の集会に出ると、気まずくなるような者である。しかしそれは、自分自身の狭さと無知を知り、賜物の違いを認めるための訓練であると思う。もし御霊から出ているものであれば、そのお働きを否定することはできない。

「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる(箴言27:17)」とある。1回きりの場所でなく教会の兄弟姉妹の中では、人間的に合わない人もいる。しかし、同じ御霊がその人をとらえ、賜物を与え、教会の中のなくてはならない器官として召しておられることを覚えつつ、自分もまた研がれて整えられていることを覚える。