Ⅰコリント1

Ⅰコリント1、ヨブ34-35

「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かなことですが、」Ⅰコリント1:23

神の選びの確かさについても、パウロはこの章でふれている。人間的に見れば弱い者、取るに足りない者をあえて主は選び召してくださった。
そして、目的は十字架につけられたキリストを宣べ伝えることである。それ以上に重要なことはない。

超教派の働きで大切なのも、この点で一致していることである。その他の細かい考え方が異なっても、同じ主を愛し、みことばを信じているならば、互いの違いを尊重しつつ共に働いていくことができると確信する。かえってその違いが、福音を届ける人の幅を広げ、働きそのものを豊かにすることもある。

神様は私たちを画一化することを望まれたのではなく、それぞれの人をユニークに造り、その違いを通してもご自身の創造の素晴らしさとご栄光を現される。人間的な目でうわべだけを判断される主ではない。