ローマ6

ローマ6、エステル6−8

「なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。」ローマ6:10


アフリカへ宣教旅行する前に、黄熱病のワクチンを打った。当時はイエローカード(接種証明書)の期限が10年だったので、10年を過ぎた頃に処分してしまった。ところが、その後にワクチンの効力がおそらく一生続くということがわかり、期限が廃止された。イエローカードを持っていなくても、一度打てば私の体にはワクチンの効力が続いているという事実があるのだ。

キリストが一度十字架で死んでくださったことで、私たちの一切の罪を精算することができた。だから、一度救われた者は何度も罪の裁きの中に戻されることはない。一度救いの決心と告白をした人は、天国行きの切符を手にしたのであり、それが取り消されることはない。

しかし、時にはその確信が揺らいでしまう。ある人は長年教会から離れてしまい、こんな自分は救われているだろうかと疑うようになった。また別の人は、一生懸命奉仕をしなければと心配になる。逆に、救われているから何をしても良いのだ、どんなにいい加減でも許されるのだ、と奔放な生活に戻ってしまう人もいる。

キリストの十字架のパワーと犠牲の大きさを理解するなら、そうした両極端から守られる。もっとリラックスして、もっと安心して、そしてもっと情熱的に、イエス様を愛する者とされる。