使徒27

使徒27、エズラ1−2

「さて、穏やかな南風が吹いて来たので、人々は思いどおりに
なったと錨を上げて、クレタの海岸に沿って航行した。」
使徒27:13

人の思いはなんと限定的で、自分に都合の良い近視眼な見方をしてしまうのだろうか。
もう航海には危険な時期だと言われていたのに、諸事情(自分にとっての)を鑑みて、出発することに決めた。南風も嵐の前の静けさだったかもしれないのに、自分の解釈で良いサインだとして錨をあげた。

この後の嵐について読んでいるので、愚かなことを、と思えるが、自分自身の人生についてはこうした愚かな航海をしてしまうことがある。
命は失わなかったとしても船に傷をつけ、座礁し、積荷を失い、漂流するような経験をする。

キリストの救いは、こうした難破船の乗員を救う救命ボートのようなものである。滅びに向かう私たちを気前よく乗せてくださる。
救命ボートで避難する際には、運賃を支払うとか、綺麗な身なりをするとかの必要はない。ただ、救命ボートの好意で乗せてもらえるのである。
救いも、キリストの命がけの犠牲と好意、すなわち私たちへの愛と愛によるものである。その大きな意味と代償を思い巡らしながら過ごしたい。