ローマ5

ローマ5、エステル3−5

 敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。」ローマ5:10

日本の民事裁判では和解の割合が高いと聞いたことがある(近年は約3分の1)。しかし、それ以上に裁判になる前に話し合って和解するケースもあると思われる。これまで対立していた相手方と、ともかくなんらかの合意に達することができたというのは、支払いや償いの必要があったとしてもストレスからの大きな解放である。

キリストは、なんの支払いも受けず、ただただ一方的に罪の代価を支払ってくださった。十字架の死によって私たちが神と和解できるように仲介してくださった。そして、復活によってキリストとともに生きるようにさせてくださった。
「どうしてそんなうまい話があろうか」と思うような、信じられないみわざ、それが神の愛の大きさであり、人の常識外の計画とスケールである表れだと言える。理性の限界があり、私たちには十分理解することができないかもしれない。しかし、理解されなくても注ぎ続けてくださる神の愛に心から感謝を表したい。神の救いを知れば知るほど、キリストから離れて生きることなど不可能に思えてくる。