使徒26

使徒26、Ⅱ歴代誌34−36

「しかし、パウロはこう答えた。『わずかな時間であろうと長い時間であろうと、私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです。』」使徒26:29


パウロの弁明は、自分のためではなくキリストの福音が伝わるためだった。鎖は別として皆が自分のようになって欲しいとは、キリストへの信仰を持ち、キリストの恵みのうちに入れられるようにという切なる願いから出た言葉であった。

私たちは、パウロほど福音の価値を知って生活しているだろうか。信仰は添え物ではなく、私たちが生き、存在し、活動している中心の目的であり動機である。
些細な行動の違いとか、考え方や意見の違いに目を奪われるのでなく、キリストがその人の中心にあるかどうかがその人をキリスト者として立たせてくれる。

黙っているわけにはいかない。どのように、パウロの捨て身な姿勢に学べるだろうか。