ローマ4

ローマ4、ネヘミヤ10−11

「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。」ローマ4:25

アブラハムが義と認められたのは信仰によってであり、律法や行いによってではなかった。
それは、私たちも主イエスを死者からよみがえらされた方を信じる私たちも、義と認められるためである(24節)。

簡単なようでいて、この信仰の橋を渡ることが意外と難しい人が多い。キリストのことばや人格が素晴らしいと分かっていても、その方が自分とどういう関わりがあるのか、個人的な関係があることにピンと来ないようである。

「あしながおじさん」という小説がある。誰なのかわからないが、ある資産家が、定期的に手紙を書くことを条件に主人公の奨学金を援助するという筋書きである。最後にその資産家が思いがけない身近な人であることがわかる。
キリストは、同じように私たちがこの方が誰かわからないうちから恵みをくださっている。しかし、それがどなたから来るのかわかった時に、感動と喜びと疑問が解けた深い平安がやってくるのである。そして、キリストの十字架と復活を信じることこそが、私たちを神の前で義と認められる唯一の条件である。