使徒24

使徒24、Ⅱ歴代師30−31

「そして百人隊長に、パウロを監禁するように、しかし、ある程度の自由を与え、仲間の者たちが彼の世話をするのを妨げないように、と命じた。」使徒24:23

総督フェリクスは、ユダヤ人たちの偽の訴えとパウロの主張を聞いて、パウロが無罪だと分かった。しかし、さまざまな思惑からパウロを監禁したままにし、2年以上もそのままにしておいた。

パウロが何も罪に当たることはしていないこと、またローマ市民だったことから、フェリクスは彼にある程度の自由を与えた。しかも妻ドルシラと共にキリストについての話を聞き、関心を持っていた。それでもキリストを救い主と信じることはなく、パウロから賄賂をもらいたいという下心もあった(24−26節)。

いくら身分が高く権力があるからといっても、その人が人格者で霊的な理解にも優れているとは限らない。権力を操って自分の都合の良いように利用するということも十分にある。

しかし、神の救いは平等である。キリストを受け入れた人、すなわちこの名を信じた人には救いが与えられる。一方で、フェリクスのように気を持たせるかのような態度、また下心があっての行動は、好意的に見えても神の前に義とされることはない。

自分の態度を振り返ること。そして、人を見かけやそぶりで判断しないように霊的な洞察力を願うこと。それが今日の私の願いである。妥協せず、キリストからブレない姿勢が証しとなる。