エゼキエル43

「私が見た幻は、かつて主がこの町を滅ぼすために来たときに私が見た幻のようであり、またその幻は、かつて私がケバル川のほとりで見た幻のようでもあった。私はひれ伏した。」エゼキエル43:3

東向きの門で主の栄光が現れ、地がその栄光で輝きました。大水のとどろきのような音もしました(2節)。

栄光が東向の門を通って神殿に入って来たというのも、大水のように満ちて行く様子であったことがわかります(4節)。ただ光が差すのでなく、それは壮大だったでしょう。

エゼキエルは、かつての幻を思い出します。町の滅びる時の幻、そして召しを受けた時に見た幻(1章)のようでした。もう一度原点に戻る思いでした。

私たちも、救われた時、導かれた時、神様を信じた時を思い出すことで、何が真実かを思いだし、確信をいただくことができます。
試練の中で見いだした主の恵みと励ましが、主に導かれる人生の中での道標です。

祈り:神様、これまでにあなたが示してくださった恵みや励まし、霊的なあらわれを思い起こします。あなたがいつも真実な方であり、あなたに身を寄せる時が平安です。みこころに叶う歩みを、今週も導いてください。アーメン