エゼキエル19

「『...火がその枝から出て、 その若枝と実を焼き尽くした。 もう、それには 王の杖となる強い枝がなくなった。』 これは悲しみの歌、哀歌となった。」エゼキエル19:14

今日の箇所は、「獅子」と表現される王権が没落し、国が滅んでしまった様子が嘆きの歌になっています。

私たちは繁栄や喜びを「良いこと」、衰退や嘆きを「良くないこと」と思いがちです。そして、なるべく「良くないこと」は隠しておき、表面に出さないようにしようとします。

しかし、聖書を読むと、嘆きや悲しみがそのまま表されている箇所が多くあります。詩篇もそうですし、今日の箇所もそうです。悲しんでもよいのだと学びます。

悲しみは、私たちを休止と静まりに導きます。神の前で思いめぐらし、明るいことばかりでは見えなかったものに気づかされます。地位や権力のある人には見えないものが見えます。十分悲しんだ人は、神により近く生きる者となれます。

祈り:神様、秋の季節と共に、今年あったことを思いめぐらしています。失ったもの、できなかったことが多くあります。寂しい気持ちにもなります。でも、あなたは私の悲しみをわかってくださる方です。また、どんな人の喪失の嘆きや悲しみをも理解してくださる方です。神であることの栄光を投げ捨て人となって来られ、いのちまで十字架で失ってくださったキリストの犠牲と愛を感謝します。アーメン