エゼキエル39

「わたしは二度と、わたしの顔を彼らから隠すことはない。わたしの霊をイスラエルの家の上に注ぐからである──神である主のことば。」エゼキエル39:29

国が滅び捕囚にあった人々にとっては、自らの罪ゆえとはいえ、神がどこにおられるのかと思えたでしょう。しかし、神はおられました。そして、回復の後の計画も持っておられました。

先の見えない試練や不安に教われた時、私たちも神がどこにおられるのか、どう導いていかれるのかと不安になります。でも神は変わらずにおられます。私たちの視点ではなく、神の視点で見ておられます。

そして「わたしの顔を隠すことはない」、「わたしの霊を注ぐ」と、今日の私たちにも語りかけてくださるのです。

エゼキエルは、さらに素晴らしい幻を見せられます。エゼキエル書のキーワード「彼らは、わたしが主であることを知る」という希望が、ますます迫ってくるでしょう。

祈り:神様、八方塞がりに思える時に、すでにあなたが大きな展望とご計画をすすめておられることを感謝します。喪失の痛みを覚える___さん、___さんに、主の語りかけと希望を今日も与えてください。導きを祈る___さん、___さんに、あなたの平安と希望が注がれますように。互いに祈りあう信仰者、教会として今日も歩みます。アーメン