エゼキエル24

「その朝、私は民に語ったが、夕方、私の妻が死んだ。翌朝、私は命じられたとおりにした。」エゼキエル24:18


エゼキエルは大切な妻を失いました。それは、やがてエルサレムを失う民へ、強烈なメッセージを伝えるためでした。
特別に召された預言者として、家族を葬ることを通してまで、神のメッセージを伝えました。気の毒なエゼキエル!と叫びたくなります。

しかし、今日も自分の大切な家族を母国に残し、あるいは危険な地域に伴って働く宣教師たちがいます。神の愛のメッセージを伝えるためにそうしています。
また、主に喜ばれる歩みをするために、自分の大切にしていたことを後回しにしたりささげたりして、主を見上げる人たちもいます。

今「あなたの心はどこにあるのか」と問われて「はい、主のもとにあります」と答えることができるでしょうか。

祈り:神様、信仰はファッションでも教養でもなく、私たちの生き方そのものであることを覚えます。命がけで福音を伝える人たちをお守りください。私も主を見上げて歩みたいです。身体はここにあっても、霊において同じ情熱を与えてください。アーメン