箴言11

「気前よく施して、なお富む人があり、 正当な支払いを惜しんで、 かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は豊かにされ、 他人を潤す人は自分も潤される。」箴言11: 24~25

今日は、私たち夫婦を育ててくれた宣教師の召天記念礼拝に出席します。気前のよい方で、人生も持ち物も、主と日本人のためにささげられました。

しばしば、主にあって気前のよい方に出会います。すべては神様からお預かりしているものだから、適切に流し、必要なところに与えるのは当然だという気持ちで、大胆に喜んで与えます。その姿勢には教え励まされ、刺激を受けます。

あるコラムを読みました。

「...与える(ささげる)のは、種をまくことに似ている。
・種をまかなければ、刈り取りもない。種をまけば、それ以上の収穫がある。
・種をまかずにしまっていると、収穫は増えるどころか減る。
・霊的な寛大さ、気前のよさこそ、霊的な肥沃、すなわち霊的物質的な富をもたらす。
・与え続けることは、すでにまかれた種に水やりをし、収穫を増し加えることである。」
 (NKJV Spirit-filled Bible, Third ed., Kingdom Dynamics Proverb 11:24-26)

考えてみれば、神ご自身が気前のよい方です。私のために、神様はどれだけ投資し、与え、備え続けておられるでしょうか。キリストはご自身のいのちさえ、私のために与えてくださったのです。
キリストの似姿になりたいと思うなら、キリストの気前のよさにもならいたいと願います。

世界の痛みや必要のため、教会が地域の福音宣教をより分かち合えるため、主のために働く方々を支え励ますため、私自身ももっとささげる者になれますように。

祈り:神様、あなたは徹底的に与える方です。自分が受けることや富むことばかりを願う宗教が巷にはありますが、あなたは正反対の方です。
愛し、恵み、与え、備えてくださる、気前のよい神様に、私がどのように応答できるか教えてください。「他人を潤し自分も潤される」という主の法則に感謝します。

「一人ひとり、いやいやながらではなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。(第二コリント9:7)」
アーメン