伝道者の書6

「もし人が百人の子どもを持ち、多くの年月を生き、 彼の年が多くなっても、 彼が良き物に満足することなく、 墓にも葬られなかったなら、 私は言う。彼よりも死産の子のほうがましだと。」伝道者の書6:3

伝道者の書を読んでいると、むなしさについて考えさせられます。
すべてを手に入れ長生きしても、幸せと言えない人がいると言っています。
それは、与えられているものに満足しない時です。
あるいは、「墓に葬られない」時だといいます。

当時は、墓に葬らない人の霊は、行方を知らずさまようという考えがありました。今の日本でも、骨や墓をとても大切にします。そのこだわりの背後には、同じような感覚があるのだと思います。

キリストを信じる者は死んだら天国に行くのだから、肉体そのものはどこに葬られても大丈夫です。
しかし、教会の墓地が日本の言い伝えの中に生きている家族や知人へのあかしとなることもまた、事実です。教会に墓地があること、定期的に記念礼拝を行うことが、大きな安心と信頼、ひいては信仰につながることもあります。

お墓の問題に悩む人が多い昨今、どうにかして永遠のいのちの希望を知ることができますように。キリストにある解決を体験できますように。

祈り:神様、私たち日本人のお墓への思いをも、あなたは愛と救いの恵みに変えることのできる方です。
教会の墓地を、あなたの栄光とあかしに用いてください。多くの教会や信仰者の墓に刻まれた聖句が、主の栄光と永遠への希望を示しますように。
また、お墓のことで悩んでおられる___さん、___さんが、主の導きによりよい選択ができますように。 アーメン