ヨブ記31

「...ヨブのことばは終わった。」ヨブ記31:40

自分の正しさを何とかわかってもらおうと、ヨブは言葉を尽くして説明します。様々な出来事に自分がどれほど誠実に対処してきたか、重ね重ね述べます。因果応報の考え方をする友人たちが理解してくれるようにと、思わずヨブを応援したくなります。

しかし一方で、どんなに優れた人格者でも完璧な人はいません。神の前には一人残らず罪人です。気づいていない罪や、罪深い性質さえも持っています。そこからきよめられる方法はただ一つ、イエス・キリストの十字架だけです。

先週来会されたヴァナジャ牧師は、多神教の背景で育ちました。キリストも数ある神のひとりだろうと思っていました。ところがある時教会から帰り、彼女は「キリストを信じるか、信じないか」という選択をしなければならないと悟りました。「これも、あれも」ではなく「これか、あれか」一つを選ぶ必要を感じたのでした。
どれでもよいというより、焦点を定めて本当によかった、と彼女は語ります。

日本の多くの人たちは、一つの神を選ぶことを避けます。でも、結婚相手を何人も同時に持つことはしません。進路も、就職も、老後の療養先も、一つの身体で一つしか選択できない場面の方が多いのです。
信仰についても、選びとることで焦点が定まり、生き方の柱がはっきりすることに気づきますように。

祈り:神様、普段の生活で一つを選ぶことには勇気がいりますが、一つしか選べないこともたくさんあります。___さん、____さんがイエス・キリストを唯一の神だと確信を持てますように。また、今日私が何かを選択する時に、祈りながらあなたのみこころを選べるよう助けてください。アーメン