ヨブ記24

「今そうでないからといって、 だれが私をまやかし者だと言えるのか。 だれが私のことばをたわごとと見なせるのか。」ヨブ記24:25 

ヨブは、なぜ悪者が繁栄し正しい者がしいたげられるのか、という問いの中にあります。
そして、今の一時的な状態だけで自分が悪者だと判断しないでほしい、と願います。
友人たちのふりかざす正義論で追い詰められたヨブの苦悩を感じます。

キリストは十字架に至る過程で、つばきされ鞭打たれました。「自分で自分を救ってみろ」と嘲られました。ひどすぎる仕打ちです。しかし、なにもお答えにならず、かえって「彼らをおゆるしください」と祈られました。それは、今という視点だけでなく、父なる神の深いご計画を知っておられたからでした。

栄光に満ちた方が、悲惨な状態を通ってくださいました。それが救いの道を開きました。人類のだれも、キリストほどのひどい仕打ちを受けたことがありません。この方は私たちのどんな悲惨や罪にも共に涙し、救いをもたらすことのできる方です。

祈り:神様、私の周りには、家庭環境で苦労した方、深い傷を負う方がおられます。社会を見ても、経済的な困窮、虐待や性被害、偽りが多くあります。ご自身がしいたげられた者となり、低くなってくださったイエス様が共にいてくださることを、悩む方が知ることができますように。私自身も、イエス様に心のうちを探って頂き、十字架の恵みをもっと深く知ることができますように。アーメン