ヨブ記29

「ああ、できることなら、 昔の月日のようであったらよいのに。 神が私を守ってくださった 日々のようであったらよいのに。」ヨブ記29:2

退職した人で、現役時代の活躍にだけ目を留める人は、生活に目的を失ったり、閉じこもりがちになったりしてしまうそうです。逆に、第二の人生と割りきって教会の奉仕や地域ボランティアといった活動や趣味、あるいは在宅そのものを楽しんでいる人たちもおられます。
その違いは、今の自分に価値があるかどうかというセルフイメージかもしれません。

ヨブは29章で、過去のよかった日々を回顧し、嘆いています。喪失と境遇の変化の中で、彼は「今も神が私を知っておられる」ということまで見失いました。そのため、セルフイメージが極端に下がってしまいました。

私たちは、神がヨブを見捨てておられないことを知っています(ヨブ記の結末は「主の回復」です)。神は、同じように私たちのことも見捨てられません。そればかりか、永遠のいのちを与え、神と共に住まうことを願っておられます。
各地にある教会は、キリストにあるその希望を伝えるために主が建てられました。そして、各所に遣わされているクリスチャンも、主が周囲にキリストの希望を伝える器として主が派遣されています。


祈り:神様、私に何ができるのかと思うことがあります。でも、あなたが今週も私を日常の中におき、生かしてくださっていることを覚えます。私自身は弱い小さな者ですが、地の塩、世の光として、あなたのご栄光を表し、希望を流し出すことができますように用いてください。アーメン