黙示録2

黙示録2、エゼキエル45−46

「だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。」黙示録2:5

エペソの教会は、労苦と忍耐、そして偽り者を見抜いた教会だった。主を愛し、主に従いたいという人たちが集う良い教会だった。疲れ果てることがない、耐え忍んだ教会だった。
しかし、初めの愛から落ちたことで叱責を受けている。
神がどれだけ、初めの愛を保つことを願っておられるかである。神に対して、また人に対して、初めの愛で接することを願っておられる。
神の叱責そのものは愛で満ちている。叱責と共に回復の道筋も書かれているのである。どこから落ちたのか思い起こすこと、悔い改めて初めの行いをすることで回復できることを教えてくれているのが5節である。

旧約聖書も、神の警告と回復が書かれている。警告に早く従えば従うほど、神の回復もスムーズである。教会の中でもし初めの愛で接することのできない人がいるなら、今日祈り和解することができる。また、神に対しての愛が冷えているなら、今日祈り新たな愛で満たしていただくことができるのである。
神の回復、神の解決は万全で、しかも万事を益としてくださることを覚える。