詩篇150

詩篇148−150、ハガイ1−2

「息のあるものはみな
 主をほめたたえよ。
 ハレルヤ。」詩篇150:6

主をほめたたえることが、全節で命じられている。中途半端な思いではなく、決意をして、意志でほめたたえるように招かれている。

礼拝で、どのようなスタイルでも、自分のベストを尽くしてほめたたえることである。あの人の賛美の姿勢が気になる、とか、歌う賛美の曲が気に入らない、とか言っている場合ではない、というのがこの紙片からわかる。主を愛するなら、そして主に救われているなら、タンバリンと踊りでダビデのように踊りながらほめたたえる、あるいはシンバルでほめたたえることは、救われ、神を愛する者のすべきことである。
昨夜、背中にうっかり低温やけどをした。また、寝ている間に手の人差し指がなぜか切り傷を負っていた。痛みと不快な感覚で目を覚ましたが、それでも、「息のあるもの」である限り、主をほめたたえるようにと招かれているのだという事実を確認しつつ、この文章を書いている。
共に、主をほめたたえよう。自分の持てる全てを持って、褒め称えよう。礼拝の賛美も、自分のベストを神の前にささげよう。誰が何を言おうと、ダビデのように賛美しよう。