黙示録6

黙示録6、ダニエル11−12

「すると、彼ら一人ひとりに白い衣が与えられた。そして、彼らのしもべ仲間で、彼らと同じように殺されようとしている兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように言い渡された。」黙示録6:11

神への信仰ゆえに迫害を受けて殺された人たちに、白い衣が与えられ、ねぎらわれていることがわかる。しかし、もうしばらく休むように命じられた。それは、まだ同じように死にまで従って殺される兄弟たちの数が満ちないからだった。
死にまで従う者か、あるいは相変わらず自己弁護して他者のせいにする者か。

太平洋戦争の時、戦犯とされた中に牧師がいた。アジアの人の虐殺に加担したというのだが、実際には逃げる手助けや慈善事業に関わっていたのだった。牢の中で初めは無実の罪への怒りだった。しかし、10年近く過ごす中で、アジアの人たちが同じ思いをしていることに気づき、自分の内面にある罪や加害者である日本人としての責任を感じ、恩赦の申請をしないで過ごしたというのである(のちに釈放)。

キリストを十字架につけた自分、福音を受け取りながらも人間関係でつまづく自分を思うときに、神の愛を受けながら肉の思いに支配される自分の弱さを思う。兄弟たちの目のちりに気づくが、自分の目のはりには気づかないのである。その状態で、死にまで従うことができるだろうか。
迫害の中にある兄姉を考えるとき、日常の中で長期間の介護や病気にある兄姉を思うとき、忍耐を尽くした人たちは天の国で白い衣を着せられるのだという神のねぎらいを思い起こし、尊敬と祈りを持って支えたい。