ルカ7

ルカ7、申命記17−19

「と申しますのは、私も権威の下に置かれている者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします。」ルカ7:8

イエス様は、この百人隊長の信仰に驚かれた。それは、彼が「権威」についてよく理解しており、イエス様が最高の権威を持たれているということを信じていたからだった。

癒しや、目に見える働きで用いられている人たちを見ると羨ましくなったり、自分の地味な働きを卑下したりする。しかし、権威はその人からではなく主イエスご自身にあるということをいつも理解していなければ、人を見てしまう。神が権威を持ち、神があわれみ深く恵み深い方だからこそ、その人に神が賜物を授け、その人を
通して神のしるしが行われているに過ぎない。

イスラエル人たちは、自分達の王を立てるときには神の任命する人物を立てるようにと命じられた(申命記17:15)。
それは、この人物が神の御心を行うことがイスラエル全体の幸せだからであった。
自分が立てられている場所、委ねられている人々、教会を神に立てられたと受け取り、よりへりくだって歩みたい。権威の源泉は神であり、私たちが偉いからとか、他と違うからとかではない。