ルカ16

ルカ16、ヨシュア19−21

「どんなしもべも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。」ルカ16:13

「利益相反行為の禁止」という言葉がある。たとえば、裁判で弁護する者が原告と被告両方の弁護をすることは、双方の利益が衝突するので認められていない。両立しない行為なのである。

同じように、神に仕えることと富に仕えることとは両立しない、とイエス様は語られた。それは、神に仕えようとするならば、金儲け主義ではできないということである。

イスラエルの民がカナンの地に入り、分割するときも、カレブが最初、その後に12部族、そしてリーダーヨシュア自身は最後だったが希望する土地が与えられた。さらに、レビ人は神に仕える人々だが、彼らには所有地としての相続地がなかった。もっとも、一番良い町々が彼らの居住と生活の基盤として割り当てられていた。主に仕える者には主がよくしてくださる、という約束の表れである(ヨシュア20−21章)。

神は表面的な善行ではなく、心の動機を探られる。自分の得にならなくても、人を助けたいと思うか。主の元に来て欲しいと思うか。金銭は神から託されたツールであり、神の国を成長させるために使いたいか。
動機が神に喜ばれるなら、神は限られた家計の中での賢い使い方も教えてくださる。少なくても、乏しいことはないのである。