ルカ14

ルカ14、ヨシュア13−15

「塩は良いものです。しかし、もし塩が塩気をなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。」ルカ14:34

福音書は繰り返し信じる者を塩にたとえた記事を記録している(マタイ5:13、マルコ9:50)。塩気のきいた言葉で神を証することが進められていると読むのはたやすい。しかし、同時に塩気をなくしたら、塩は外に投げ捨てられるというところを読み飛ばしがちである。

出エジプトからカナンの地に入るまでのカレブはまさに塩気のきいた、そして忠実なしもべだった。カナン偵察の時の信仰、そして85歳でカナンに割り当て地を願い出る時もらう時も壮健で自ら山地の敵と戦うという気力があった(ヨシュア記14:12)。彼を支え続けたものは主への信仰、そして信頼であった。主がともにおられるなら可能であるということを、生涯を通してあかしした。

私たちは行いによらず、恵みによって救われている。たとえ一度も証をしなくても、神様の栄光を表さなくても、救いが取り去られることはない。
しかし、救いの恵みをしみじみ感じ受け取ったら、じっとはしていられなくなる。形ばかりのクリスチャン生活では我慢できなくなる。キリストのために何かしたい、どうにかして分かち合いたいと思うのである。キリストの弟子になりたいと願うのである。
外に投げ捨てられる塩気のない物質は役立たないものである。そうではなく、塩気があり、いつも食卓や調理で必要となる塩のような
キリストの弟子、キリストの証人としての歩みをしていきたい。