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アモス1

「テコア出身の牧者の一人であったアモスのことば。これはユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イスラエルについて彼が見た幻である。」アモス1: 1 2つのことが浮かびます。 神様は、様々な状況の人を召されるということ。 王や祭司だけでなく、テコアの地で羊飼いだったアモスも召されました。イザヤやエレミヤたちのような長い預言の書は残っていません。でも、神様からの召しを受けて応答しました。そして、誠実に主のことばを受けて、誠実に預言しました。 私たちは、自分が小さな者、とるに足りない者だと思うかもしれません。 でも、私の今の立場、状況も神のご計画の中にあります。 アレックス・チョンという方が、 「私たちには、点の羅列にしか見えない人生の場面場面を生きている。しかし、主はその点と点を線でつなぎ、やがて美しい絵が現れるようにご計画を実現される」と言いました。その通りだと思います。 全貌が見えない、ハプニングだらけの人生だと感じられても、主にとってはハプニングや思い違いはありません。そのことを信じて、今年も感謝をもって閉じましょう。 祈り:神様、あなたが私を今年もご計画と守りのうちに導いてくださいました。感謝します。私には思いがけないこと、理由のわからないことも多々ありました。しかし全てが主によって織り合わされ、あなたの計画が進んでいることを信じて感謝します。アーメン

ヨエル3

「主はシオンからほえ、エルサレムから声をあげられる。 天も地も震える。 主はその民の避け所、 イスラエルの人々の砦である。」ヨエル3:16 さばきを経なければならない時でさえ、主は人々を忘れてはおられません。 「ほえる」は動物の王、ライオンの咆哮を連想します。主は「天も地も震える」ほどの強さと権威をもっておられます。 一方で主は「民の避け所」「人々の砦」でもあられます。そこに身を寄せれば守られ、安全なシェルターなのです。 この1年、どんなことで主の「強さと権威」を感じましたか。 また、主の元に身を避け、守っていただいたのはどんな時でしたか? 書き出してみてはどうでしょうか。 今年人生の嵐を通ったとしても、主が変わりない方であることを知ったなら、その経験はやがてかけがえのない霊的な宝となります。 祈り:神様、あなたが何よりも強く権威ある方だとほめたたえます。また悩みの時の避け所であることに感謝します。主を近く感じられなかった時でさえ、すでにそこにおられ、私の全てをご存じの主を、ますます深く知りたいです。導いてください。アーメン

ヨエル2

「その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、 老人は夢を見、青年は幻を見る。その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、 わたしの霊を注ぐ。」ヨエル2:28~29 ぺテロはペンテコステの日に聖霊に満たされ、この通りに語りました(使徒2:17~18)。どんな年齢、性別、立場の人にも差別なく主の霊が臨み、教会が生まれました。 それ以来2000年、教会は主の霊に導かれて歩んでいます。あらわれ方は様々で、激しく現れることも、外からはわからないこともあります。しかし、教会は聖霊によって導かれ、歩んでいます。同じ聖霊は、信じる人の内にも住んでおられます。素晴らしいことですね! 「衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。 あなたがたの神、主に立ち返れ。 主は情け深く、あわれみ深い。 怒るのに遅く、恵み豊かで、 わざわいを思い直してくださる(13節)」という主の霊が、いつも共におられるのです。 今年も全ての人がが1歳年を重ねました。衰えを感じる人、先行き不安になる人がいるかもしれません。でも今日の箇所には「老人は夢を見」と書かれています。霊にあっては枯れるどころか、主が見せてくださる夢を見てますます燃やされていきます。 祈り:神様、主の霊で私を満たしてください。 「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。(ガラテヤ2:20」アーメン

ヨエル1

「嚙みいなごが残した物は、いなごが食い、 いなごが残した物は、バッタが食い、 バッタが残した物は、その若虫が食った。」ヨエル1:4 ヨエル書は、その年代や当時の王が誰かははっきりとわかりません。ただ、1章を読むといなごやバッタのひどい害が出ていたことがわかります。すべてが食いつくされ、ひどい飢饉に陥ることが明らかでした。 数年前にアフリカから中東にかけていなごが大発生し、農作物に大きな被害が出ました。ヨエル書の時代も今も、人間は自然災害の前に無力であることを思いました。 もちろん、自然災害のすべてが主のさばきだというわけではありません。被害にあい困窮する人々に、主はあわれみ深くあられます。私たちも助けが届くようにと切に祈り、ささげます。教会の宣教献金は、こうした所に届くようにと送られています。 今喜んでいますか?それとも、思いがけない試練の中にいますか?喜びを通しても、困難を通しても、私たちが主を見上げること、それが主が最も願われることです。 手を休め、今ほんの少しの時間でも主を見上げて共に祈りましょう。 祈り:神様、私の焦る心や思い煩いを横に置き、今あなたを見上げます。明日のことさえ正確に予測できない私たちです。しかし、主を見上げる者にはあなたは恵み深くあられます。どうか周りに八つ当たりせず、パニックにならず、まずあなたに祈る者とならせてください。アーメン

ホセア14

「あなたがたはことばを用意し、主に立ち返れ。主に言え。『すべての不義を赦し、 良きものを受け入れてください。私たちは唇の果実をささげます。』」ホセア14:2 ホセア書の最後は、神と民の関係が回復され、再び地に美しさと潤い、それに収穫が戻ってくる様子が描写されています。 回復の条件は、人が悔い改めて神に立ち返ることのみです。神様の赦しの大きさと気前の良さには驚きます。 今年の歩みを振り返ると、感謝や喜びの一方で、失敗したこと、恥ずかしいこと、引け目を感じることなどが思い浮かぶかもしれません。もしそうなら、祈りのうちに主の前にそれらを並べてみませんか。主は赦しきよめてくださる方です。 さらに、「唇の果実」である礼拝を心からささげることができるよう、思いを一新していただきましょう。後悔や恥意識からの回復は、私たち自身にはできなくても、神にはできると信じます。 祈り:神様、私の様々な失敗やしがらみから解放してくださる方であることに感謝します。____のことや、____のことを横に置き、あなたに礼拝をささげます。私の口をきよめ、良いものを出す口としてください。祈りとともに主への賛美と礼拝を、私の唇の果実としてささげます。アーメン

ホセア13

「わたしはよみの力から彼らを贖い出し、 死から彼らを贖う。 死よ、おまえのとげはどこにあるのか。 よみよ、おまえの針はどこにあるのか。 あわれみはわたしの目から隠されている。」ホセア13:14 パウロは第一コリント15:55でこの箇所を引用しています。 「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おなえのとげはどこにあるのか。」 キリストの力が死にさえも勝利されたことを述べます。 「しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました(15:57)」 さらに、キリストを信じるものには終わりの時に朽ちないからだが与えられることが記されています。 旧約聖書の中に散りばめられた希望の約束を、新約聖書とキリストの光を通して教えられるのは、宝探しのようです。 クリスマスが終わり、今年も残りわずかになりました。この1年、個人デボーション、礼拝や集会、分かち合いを通して、どんなみことばを発見しましたか?どのみことばが、自分の心に宝のように輝いているでしょうか。 祈り:神様、あなたのみことばには、生きて働く力があります。今年の歩みを静かに振り返ります。 今、私の心に宝のように輝いているみことばは___________です。難しく思える時もありますが、聖書を愛し、聖霊の光で心を開いて理解できるよう、続けて導いてください。アーメン

ホセア12

「しかしわたしは、エジプトの地にいたときから、 あなたの神、主である。 例祭の日のように、 再びあなたを天幕に住まわせる。」ホセア12:9 クリスマスおめでとうございます!約2000年前のベツレヘムでイエス・キリストが誕生されたことを心から喜びます。 「キリスト教は海外の宗教だ」と言われることがあります。しかし、キリストの誕生が今日の私たちと大いに関係あることを、クリスチャンたちは信じています。他人事ではなく「私の信仰、救い」として受け取っています。 もし自分が安全な水を被災地に届けるために外国に行ったとしましょう。そこの人々が「それはよその国のもので、自分達に関係ない」と反応したら、「いえいえ、国を問わずこの水は安全です。あなたがたのために届けに来ました」と言うでしょう。 同様に、キリストが来られたことは、どの国、どの時代の人々にとっても関係ある、大切な事実です。「エジプトの地にいたときから、あなたの神、主である」と言われた神が、今日の「私の神、主」です。 祈り:神様、イエス・キリストを地上に送ってくださり感謝します。ケーキやパーティーだけではありません。キリストによる救いが、今日の私たちへのプレゼントであることを覚えます。聖書に書かれている真理に関心を持ち、もっと知りたいという方が教会の門をたたくことができますように。聖霊様の導きがありますように。アーメン

ホセア11

「エフライムよ。わたしはどうして あなたを引き渡すことができるだろうか。   イスラエルよ。どうして あなたを見捨てることができるだろうか。   どうしてあなたを アデマのように引き渡すことができるだろうか。  どうしてあなたを ツェボイムのようにすることができるだろうか。   わたしの心はわたしのうちで沸き返り、   わたしはあわれみで胸が熱くなっている。」ホセア11:8 主なる神様は、旧約の民を親のように愛し慈しみ、育てて来られました。 彼らは罪をおかし、主に背を向け、間違った道へと進んでいきました。 しかし、神様はそのような民に 「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、 わたしはあわれみで胸が熱くなっている」と言われました。引き渡し、見捨てることはできない、と。 今日の私たちにも、神様は同じ思いでおられます。背を向けて歩んでいる人にも、熱い愛とあわれみをもっておられます。 イエス・キリストの誕生は、私たちを救い出すために神様が計画なさったことが、人間の目にはっきり見えるようになった記念日です。 祈り:神様、あなたの愛と恵みに満ちた救いのご計画を感謝します。イエス・キリストの誕生を心こめてお祝いします。私の周りの人たちが、一人でも多くの人がクリスマスの本当の意味を知ることができますように。世界中の教会で祝われるクリスマスに、主の豊かな臨在がありますように。アーメン

ホセア10

「あなたがたは正義の種を蒔き、 誠実の実を刈り入れ、 耕地を開拓せよ。 今が主を求める時だ。 ついに主は来て、 正義の雨をあなたがたの上に降らせる。」ホセア10:12 「私は○○に植えられた」という表現をする方がおられます。「この地に植えられた」「この教会に植えられた」...そこには、今の所に神様が置いてくださった、それを受け取りじっくり根ざします、という自覚と決意が感じられます。 今日の12節は、植えられた地で「正義の種を蒔き」「誠実の実を刈り入れ」「耕地を開拓せよ」と命じられています。置かれた所で、「今」主を求めよ、というのです。 現状に不足を覚えることがあるでしょうか。 別の場所に行けば、慣れた故郷に戻れば、両親や子どもが○○だったら、教会がこうだったら、牧師やリーダーが誰々みだいだったら...という「たられば」ばかりを追い求めていないでしょうか。 私たちが「植えられた」場所で、「主は来て、正義の雨を降らせる」ことのできる方です。 いよいよクリスマス、私たちの所に来られたイエス・キリストの恵みを思いつつ、クリスマス礼拝に備えましょう! 祈り:神様、現状の足りない所が目につき、他と比較してしまう心をゆるしてください。主が私をここに導き、植えてくださったことを感謝します。ここにも主が来られ、聖霊が満ちあふれてることを覚えます。日本中、世界中でクリスマスの備えをしているクリスチャンを喜びで満たしてください。アーメン

ホセア9

「エフライムの見張りは、私の神とともにいる。 しかし預言者には、すべての道に罠が仕掛けられ、 彼の神の家には憎しみがある。」ホセア9:8 別の聖書訳には、「預言者はエフライムの見張りとして、私の神とともにいる。 しかしすべての道に罠が仕掛けられ、 彼の神の家には憎しみがある」としているものもあります(NIVなど)。 いずれにしても、ホセアのような預言者がイスラエルの国に敵視され、憎まれるということがわかります。 目先の判断で強国に頼り、滅びの運命を自ら選ぼうとする人々の耳には、預言者のことばが煩わしいものとしてしか聞こえません。 フィリップ・ヤンシーの自伝(「光の注がれた場所」)を読みました。お兄さんは反発し、実母と断絶します。関係を修復しようとする著者の努力はなかなか実を結びません。要因の一つは、両者とも自分が悪くないと思い、互いに傷ついていることでした。 自分が正しいと思うとき、私たちも自分が思うよりずっと頑固になるのかもしれません。聖霊が気づきを与え、柔らかい砕かれた心にしてくださいますように。  祈り:神様、私は_______のことがなかなかゆるせません(わだかまりがあります、批判的になります、不条理だと思います)。でも、そのことをあなたの前に起きます。私に柔らかい心を与えてください。頑固な民のようではなく、へりくだって悔い改め、あなたに聴く霊の耳を開いてください。アーメン

ホセア8

「わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、 彼らはこれを他国人のもののように見なす。」ホセア8:12 旧約時代に、イスラエルの民に神様はおしえと戒めを与えてくださいました。ところが人々は、それを自分とは関係ないように(他国人のもののように)扱いました。 何度も警告したのに改めない者をさばかざるを得ない、神様の嘆きが感じられます。 聖書が書かれた場所は主に中近東です。日本人にとって、地名や言語は外国のものかもしれません。しかし、キリストは全人類の罪ために十字架にかかり、復活されました。今日は、聖書のおしえを誰も「他国人のもののように見なす」必要はありません。 パウロはローマ人への手紙の中で 「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。(ローマ1:16)」 と述べています。福音は私や隣の人に救いをもたらす神の力だ、と心から信じているでしょうか。 祈り:神様、あなたは今日の私たちに心から呼び掛けておられます。___さん、___さんがこのクリスマスに福音を受け取ることができますように。 そして、福音がどれほど素晴らしい神の力であるかを、私自身ももっと味わい知ることができますように。アーメン

ホセア7

「エフライムは愚かな鳩のようで、良識がない。 エジプトを呼び求め、アッシリアに飛んで行く。」ホセア7:11  初代ローマ皇帝アウグストゥスの別荘が最近発掘されたそうです。クリスマスの記事「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た(ルカ2:1)」の人物です。 悪名高いヘロデ王は地方を治めましたが、アウグストゥスはそれよりも上位の、ローマ帝国全体の支配者でした。 それほど権力があった人の建物でさえ、ベスピオ火山の噴火で埋もれてしまい、21世紀になってやっと掘り起こされるという有り様です。 この章では「エフライム」=旧約のイスラエルの民が、主なる神よりも強い国に頼ろうとしたことを戒めています。 私たちは、つい見える人のことばに頼り、影響されてしまいます。しかし、それが主のみ思いを反映しているかと、一呼吸置いて考えてみましょう。 「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。(マタイ10:28)」 祈り:神様、人は有限です。しかし、あなたは時代を越えて存在され、力ある方です。その方が私を愛し、かけがえのない存在として今日も扱ってくださる特権に感謝します。みことばにますます信頼できますように。アーメン

ホセア6

「私たちは知ろう。 主を知ることを切に追い求めよう。 主は暁のように確かに現れ、 大雨のように私たちのところに来られる。 地を潤す、後の雨のように。」ホセア6:3 注解書には、 「ホセア書は神の愛の心を明らかにしている。神はご自身の民を、罪の暗闇から輝く光へと移したいと願われる。神のさばきの背後に、繰り返し回復の約束が述べられる。神は、私たちとの関係に非常な価値をおかれているのだ」と解説されています。 ホセアの時代だけでなく、今日の私たちとの関係にも、神様は非常な価値を置いてくださっています。 その主への応答として、私たちは3節のように「主を知ることを切に追い求め」る者でありたいです。「主よ、今日も来てください。癒し、回復してください。新たな歩みを与えてください」と祈りながら一日を始めましょう。 祈り:神様、あなたが私との関係に価値を置いてくださり感謝します。クリスマス、年末が近づいてきました。楽しみと同時に用事も多く、あわただしい気持ちになります。主を忘れることがないように助けてください。買い物にも、郵便局や銀行にも、診察や送迎にも、職場や教室にも、私の心がいつもあなたと共に移動できますように。アーメン

ホセア5

「エフライムは虐げられ、 さばかれて打ち砕かれる。 彼が自ら進んで 人の決め事に従って歩んだからだ。」ホセア5:11 子どもの進路や願い(自分が子どもだった時も含めて)に関して、親子で意見が食い違ったことがありますか? 意見が違っても、子どもを本当に愛する親なら、子どもが望むように歩んでいくのを見守ることでしょう(たとえ苦労が目に見えていても)。 万一子どもが失敗し、ぼろぼろになって帰ってきたらどうでしょう。親は「ごめんなさい、未熟だった」と謝るなら受け入れるのだと思います。 神様はどんな親よりも私たちを愛してくださいます。 それゆえ、民がどうしても願うやり方にお任せになりました。 「彼が自ら進んで人の決め事に 従って歩んだからだ」ということばの背後に、胸を痛めながらも民を愛され見守っている、そんな神のみ思いが感じられます。 やがて国が滅び、ちりぢりになっても、偶像礼拝から離れた時に回復を与えてくださいました(もちろん民は悲しみを通り、その後でした)。 入学、就職、結婚、介護、子育て...を、神抜きでもできるのかもしれません。しかし、神は最善をご存じで、私たちにそれを与えたいと思っておられます。 自分一人で祈ると共に、教会の人たちや信仰の友にも祈ってもらいましょう。互いに祈りあう所に、恵みがいっそう豊かに注がれます。 祈り:神様、あなたの深い愛を覚えます。今まで、___に関しては、自分で決めて祈らずにきました。でも、これからはあなたに聞いていけますように。共に祈り合える信仰の友が与えられていることにも感謝します。アーメン

ホセア4

「わたしの民は知識がないので滅ぼされる。 あなたが知識を退けたので、 わたしもあなたを退け、わたしの祭司としない。 あなたがあなたの神のおしえを忘れたので、 わたしもまた、あなたの子らを忘れる。」ホセア4:6  今日の4章には厳しいことばが並びます。北王国(「イスラエル」「エフライム」も同じ)に向かって、偶像礼拝に陥るのが姦淫(浮気)だと責めています。 「知識」とは、頭がよいとか物知りだということではありません。主のおしえを心に留め、従う心が「知識がある」ということです。北王国は、せっかく祭司の役割を果たす国として選ばれたのに、その恵みを拒否して悔い改めようとしなかったのでした。 神様は義なる方ですが、同時に愛と恵みに満ちた方です。 その方にここまで言わせてしまうのが、私たちの罪の本質なのだと知ります。 罪を赦された者として、主から離れず生きていきたいと思います。 祈り:神様、聖書の厳しいことばは、私たちが的はずれな罪の生活に逆戻りしないための戒めです。赦された恵みを味わいます。信仰が弱っている人たちの心に、今日聖霊の火が再び燃やされますように。神には不可能なことがないという約束を信じます。アーメン