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エレミヤ13

「私はユーフラテス川に行って掘り、隠した場所から帯を取り出した。すると見よ。その帯はぼろぼろになって、何の役にも立たなくなっていた。」エレミヤ13:7 神様は、実物教材を用いて預言の内容を理解しやすくされることがあります。 エレミヤが買って腰に巻いたリネンの帯もそうでした。 外して、ユーフラテス川のほとりにある岩の割れ目に隠すようにとのことでした。 普通、布を野ざらしにすると、傷むのは想像がつきます。その通り、帯はぼろぼろになっていました(7節)。 そのように、神様はユダの国のプライドや高慢をぼろぼろにすると言われました(9節)。それは、彼らの罪ゆえでした。 神様は、帯を身に付けるようにユダの人々を愛してくださっていたのでした(11節)。勝手に離れて行ったのは人々でした。 義である神様は裁きをしないわけにいきません。でも、その背後にはあふれるばかりの愛があることを覚えます。 祈り:神様、あなたは人を愛し、帯を身に着けるようにみそばにおいてくださる方です。警告でさえも、私たちが気づくように示してくださいました。私に従順な、柔らかい心を与えてください。混乱ではなく、平安と静まりの心を与えてください。アーメン

エレミヤ12

「主よ。私があなたと論じても、 あなたのほうが正しいのです。 それでも、私はさばきについて あなたにお聞きしたいのです。 なぜ、悪者の道が栄え、 裏切りを働く者が みな安らかなのですか」エレミヤ12:1 エレミヤの問い、なぜ悪者が栄えるのか(そしてなぜ神は何もなさらないのか)は、旧約聖書によく出てきます(ヨブ21、詩篇73、ハバクク1など)。時折、私たちも感じるかもしれません。 「はっきりした答えは書かれていませんが、やがて悪者は滅び、神の前に正しい人が回復するということが明らかです。信仰者の態度とは、神に信頼することです。とりわけ、自分の人生については。(NKJV Spirit=-filled Bible )」 わからないことは神のミステリーのうちにあり、摂理の中で持ち運ばれるという信仰が、全てを説明しようという試みよりも平安と満足を与えることも多くあります。 やがて天国に行ったら、イエス様に直接聞いてみたいです。 祈り:神様、「なぜですか」と聞きたいことが多くあります。この世の矛盾や理不尽なことに腹立たしく思うこともあります。しかし、あなたが全てを持ち運んでくださること、ご存知であることを覚え、委ねます。あなたにお任せする信仰を与えてください。アーメン

エレミヤ11

それゆえ、主はアナトテの人々について、こう言われる。「彼らはあなたのいのちを狙い、『主の名によって預言するな。われわれの手にかかって、あなたが死なないように』と言っている。」エレミヤ11:21 エレミヤの警告の預言を妨害しようとしたのは、外国ではありませんでした。 「アナトテ」とは、何と、エレミヤの出身地です。 「ベニヤミンの地、アナトテの祭司の一人であったヒルキヤの子エレミヤのことば」(1:1)。 一番理解してほしい人々、わかってくれていると思っていた人々が、エレミヤに反対し命まで狙いました。 私たちも、一番わかってほしい身近な人々から理解してもらえないこと、反対されることがあるかもしれません。辛いですね。 でも、イエス様でさえ、故郷ナザレの人たちからは理解されませんでした。 「イエスご自身、『預言者は自分の故郷では尊ばれない』と証言なさっていた。(ヨハネ4:44)」 しかし、主なる神様はわかってくださいます。そして、エレミヤを守ったように、神に従う者を見捨てることはなく、いつも共にいてくださいます。 祈り:神様、身近な人から見放され、理解されないように思うことがあります。けれども、あなたはすべてを知っておられます。今日、孤独を感じている兄姉がいるなら、あなたの臨在がいっそう強く感じられますように。慰めと励ましを与えてください。アーメン

エレミヤ10

「主の御声に、天では水のざわめきが起こる。 主は地の果てから雲を上らせ、 雨のために稲妻を造り、 ご自分の倉から風を出される。」エレミヤ10:13 先週は毎日のように夕立がありました。黒っぽい雲がだんだん近づき、風が吹いて強い雨と雷がやってきました。その音と落雷の強さに、大自然の力を改めて感じました。 今週の天気はどうなるでしょうか。私たちは予報することはできても、天気そのものを変えることはできません。 しかし聖書は、神様が雲、雨、稲妻、風といった大自然をも治めておられる方だと語ります。 よく賛美する聖歌480番の 「輝く日を仰ぐ時 月星眺むる時 雷鳴り渡る時 まことのみ神を思う」 は、まさしくそのことを歌っています。 祈り:神様、自然は、あなたが造られ支配しておられることに思いを向けます。偉大なお方であるあなたを賛美します。今日も空を見上げる時、山を遠くに見る時、主が全地の王であることを賛美し、祈り心を持てますように。アーメン

エレミヤ9

「誇る者は、ただ、これを誇れ。 悟りを得て、わたしを知っていることを。 わたしは主であり、 地に恵みと公正と正義を行う者であるからだ。 まことに、わたしはこれらのことを喜ぶ。 ──主のことば。』」エレミヤ9:24 「私の目が涙の泉であったなら...殺された者たちのために 昼も夜も、泣こうものを(1節)」と、涙の預言者エレミヤは言います。国が滅びて荒廃する情景は、涙なくしては語れませんでした。 何よりも、人々が悔い改めず、「自分の知恵」「自分の力」「自分の富」(23節)とを誇り頼っていたことが、悲しむべきことでした。 エレミヤは「誇る者は、ただ主を知っていることを誇れ」と叫びました。 今日の私たちも、つい「自分の知恵」で判断したり、「自分の力」で行動したり、「自分の富」に安心したりということがあります。知恵、力、富は悪いものではありませんが、主よりも頼っているなら危険信号です。 「誇る者は主を誇れ」(1コリント1:31、2コリント10:17)をもう一度確認し、主に信頼していきましょう。 祈り:神様、あなたが私のすべてを誰よりも知ってくださり感謝します。知恵も力も富も、すべてはあなたからの賜物です。主のご支配と統治を信じます。難しい状況にある___さん、____さんに、主のご介入がありますように。 私も、日々主からの知恵、力、富を頂き、正しく用いることができますよう、助けてください。アーメン

エレミヤ8

「私の悲しみは癒やされず、 私の心は弱り果てている。」エレミヤ8:18 うつ状態の時に思わず口にしそうな言葉ですが、ここでのエレミヤは自己憐憫に陥っているわけではありません。 神の語りかけを聞こうとしないで滅びに向かっている自分の国イスラエルと、そこに 住む人々を思っての義憤が現れているのです。 まことの神を第一とせず、偶像礼拝や軍事力に頼ろうとするイスラエルの姿を、「涙の預言者」として嘆き悲しんだのでした。 今週の木曜集会で「心の偶像(思い込み、キリスト以外に頼りにするもの)」を点検し、福音の約束をいつも握るというテーマで分かち合いました。 イスラエルの姿を反面教師としながら、福音の恵みを受け取り実践する私たちとなれますように。 祈り:神様、聖書を読むと、人々の失敗からも学ぶことができます。愚かな偶像礼拝を避けることができますように。人々のために悲しみとりなし、神の真理を語り続けたエレミヤの嘆きと情熱の姿勢を、日本のために祈る私たちの姿とできるよう、神の愛に感激し、福音を喜ぶ心を今日も与えてください。アーメン

エレミヤ7

「寄留者、孤児、やもめを虐げず、咎なき者の血をこの場所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、わたしはこの場所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住まわせる。」エレミヤ7:6~7 生き方と行いを改めるように(5節)という神様の声に従うことについて、具体的な例も主は示してくださいます。 「寄留者、孤児、やもめ」は、私たちの教会の周りでは ・日本に一時滞在・定住している外国人 ・在日韓国朝鮮人・中国人、中国残留孤児とその子孫 ・日系ブラジル人 ・地域で『よそ者』とみなされがちな人 ・シングルマザーやシングルファザーとその子どもたち ・児童養護施設や親戚の家で育っている子どもたち   等... まだまだおられるかもしれません。 こうした人たちを「虐げず」とは、差別しないことだけでなく、無関心でいないことも含まれると思います。キリストが同じように愛し、救いのために十字架にかかってくださった人たちです。 すぐ近所に住む人たちに福音が届くように祈っていくことも、地域宣教、世界宣教の一歩だと教えられます。秋に備えて、教会でトラクトを準備し始めました。神が備えてくださった方々に届きますように。 祈り:神様、私の住む地域にも多くの「寄留者、孤児、やもめ」に当たる方々がおられます。よい隣人となり、キリストにあって愛することができるよう、豊かな出会いと導きを与えてください。アーメン  

エレミヤ6

「彼らはわたしの民の傷をいいかげんに癒やし、 平安がないのに、 『平安だ、平安だ』と言っている。」エレミヤ6:14 神様は、偽預言者や祭司の言葉を叱責されます。神様のことばを正しく伝えず、状況をあたかも平安であるかのように歪めています。 神様は愛であると同時に、義であるお方です。赦しに満ちておられますが、悪を見過ごしにはなさいません。 私たちの罪をいいかげんにするのではなく、心からの悔い改めをするようにと招いておられます。 自身の身の回りのことも、そして日本の国のことも、「平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている」とならないよう、よく見極め、祈り、悔い改めて神のみこころを知らせる者となれますように。 祈り:神様、私は____についていいかげんでした。悔い改めます。赦してください。新しい方向に歩みます。日本も、この政策やあの対応は、果たしてみこころにかなっているのかと疑問に思うことがあります。信仰者として誠実な態度と行動がとれるよう、勇気と機会を与えてください。アーメン

エレミヤ5

「預言者は偽りの預言をし、 祭司は自分勝手に治め、 わたしの民はそれを愛している。結局、あなたがたはどうするつもりなのか。」エレミヤ5:31 さばく神は恐ろしいと思うでしょうか。主なる神様は、無条件でさばかれる方ではありません。何度も何度も警告を出し、立ち返るようにと招いてくださいます。 ただ、強制されることはなさいません。私たちを愛するがゆえに、自由意思を尊重してくださいます。今日の箇所でも 「結局、あなたがたはどうするつもりなのか」と尋ねておられます。 私たちの身勝手さを嘆きながらも、戻ってくるのを切に望み待っておられる神様のまなざしを覚えて感謝します。 祈り:神様、自分勝手な歩みをしていた私を呼び、ご自身のものとしてくださり感謝します。この恵みを忘れないように歩んでいきたいです。しばらく礼拝を休んでいる___さん、___さんにも日々主の臨在が感じられ、信仰から離れることがないように助けてください。 アーメン

エレミヤ4

「私のはらわた、私のはらわたよ、私は悶える。 私の心臓の壁よ、私の心は高鳴り、 私は黙っていられない。 私のたましいが、角笛の音と 戦いの雄叫びを聞いたからだ。」エレミヤ4:19 自分の国が神から離れた歩みをしていること、それゆえ破滅に至ろうとしていることを、エレミヤは声をあげて預言します。 けれども人々は耳を貸そうとはしません。「実に、わたしの民は鈍く、わたしを知らない。愚かな子らで悟ることがない(22節)」と霊的に鈍っていました。 エレミヤは諦めず、神からのことばを伝え続けます。 私たちは、国の高官に向かって預言することはないかもしれません。でも、エレミヤと同じように、自分の国のためにだまっていられない、神のことばを伝えずにはいられないという情熱をもって今日も歩みたいと思います。 祈り:神様、私を今日もこの国に置いてくださり感謝します。国、府、市のリーダーが神のみこころに沿って治めることができますように。私も、近隣の方々に福音を伝え、教会に誘うことができますよう、救霊の情熱を与えてください。アーメン

エレミヤ3

「私たちは恥の中に伏し、 恥辱が私たちの覆いとなっています。 私たちの神、主に対し、 私たちも先祖も、 若いころから今日まで罪の中にいて、 私たちの神、主の御声に聞き従わなかったからです。」エレミヤ3:25 主の声に聞き従わず偶像礼拝に陥ったイスラエルの国に対して、主は 「 背信の子らよ、立ち返れ。 わたしがあなたがたの背信を癒やそう(22節)」と言われました。 今日も同じです。私たちがどんな失敗をしても、神様は「立ち返れ」と声をかけ、悔い改める者を赦してくださる方です。 「今、私たちはあなたのもとに参ります。 あなたこそ、私たちの神、主だからです(22節)」と素直な心で応答する者でありますように。 祈り:神様、あなたの愛とあわれみの大きさを覚えて感謝します。私に、悔い改めることのできる、柔らかい砕かれた心を与えてください。あなたに愛される神の子どもとして、純粋な思いで御前に出ることができますように。アーメン

エレミヤ2

「わたしの民は二つの悪を行った。 いのちの水の泉であるわたしを捨て、 多くの水溜めを自分たちのために掘ったのだ。 水を溜めることのできない、 壊れた水溜めを。」エレミヤ2:13 教会のあるこの辺りの地域は、昔から雨が少なくて、ため池が多く作られました。 同じように、中東の乾燥地域では、雨水をためて飲用や生活用水とするために水溜めを用いました。ただ、流れ込んでくる水がないならすぐに干上がってしまいます。また、ひびが入っていると、そこから水がもれて、やはり干上がってしまいます。 湧き水があるのに、あえて水溜めに頼ろうとする人はいません。 しかし、イスラエルが主である神に対してしたことは、それと同じだという宣告がされます。 恵みとあわれみ、祝福の泉である主を捨て、自分の力で世話をしなければならない偶像へと心変わりしてしまったことへの叱責がされます。 私たちも、同じようなことをする恐れがあります。神様よりも頼っているものがあるなら、イスラエルの人たちが陥ったのと同じ状態です。 いのちの泉であるキリストを第一として歩めるようにと、いつも心を見張りましょう。 祈り:神様、あなたの豊かな愛と恵みを忘れることがないように、私の心を守ってください。人や持ち物も大切ですが、主であるあなた以上に頼ることのないよう、気づきを与えてください。 「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。(マタイ6:33)」アーメン

エレミヤ1

「主は私に言われた。『まだ若い、と言うな。 わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、 わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。彼らの顔を恐れるな。 わたしがあなたとともにいて、 あなたを救い出すからだ。 ──主のことば。』」エレミヤ1:7~8 エレミヤは神の召命を受けた時、「まだ若くて、どう語ってよいか分かりません(6節)」と言いました。モーセと同じような返答ですね。 それに対して、神様は「まだ若い、と言うな」と励まされます。神が遣わすところで、神からのことばを語るように、と。 それは、主がともにいてくださるからでした。恐れるな、とここでも神様は言われます。 困難な時代に召しを受けたエレミヤは、主に従い、ひどい目に合いつつも同胞を愛し、涙ながらに預言します。 この愛と忍耐は、キリストに似た性質だともいえます。 エレミヤの働きを読みながら、今日の私たちにも「恐れるな。あなたとともにいる」と声をかけてくださる主に感謝します。 祈り:神様、私を見捨てず、ともにいてくださることに感謝します。主に従い、遣わされる所で主のあかしができますように。教会に、さらに福音を味わい、福音を伝える機会を与えてください。アーメン

イザヤ66

「これらすべては、わたしの手が造った。 それで、これらすべては存在するのだ。 ──主のことば── わたしが目を留める者、それは、 貧しい者、霊の砕かれた者、 わたしのことばにおののく者だ。」イザヤ66:2 ステパノが殉教する前に、イザヤ66章の1、2節を引用しています。 「天はわたしの王座、地はわたしの足台。 あなたがたは、わたしのためにどのような家を建てようとするのか。 ー主のことばー わたしの安息の場は、いったいどこにあるのか。 これらすべては、わたしの手が造ったものではないか。(使徒7:49~50)」 初代教会でも、イザヤ書が愛読され、暗唱されていたことがわかります。 そして、主が目を留める者は「貧しい者、霊の砕かれた者、わたしのことばにおののく者だ」というのは、イエス様が山上の垂訓で「心の貧しい者は幸いです」と言われたことを思い出します。 66巻の聖書のミニチュアとも言われるイザヤ書66章。新約時代の私たちも、みことばの恵みとキリストを旧約聖書から汲み出し、愛読できますように。明日からはエレミヤ書です。 祈り:神様、変わらないみことばを与えてくださり感謝します。日々、みことばを味わい、愛読し、生活に適用できるよう助けてください。アーメン

イザヤ65

「だから、わたしが創造するものを、 いついつまでも楽しみ喜べ。 見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、 その民を楽しみとする。」イザヤ65:18 台風が通りすぎました。被害が出た場所に回復をお祈りします。 台風の後、教会の庭も入口も、飛んできた小枝や葉やゴミなどが散乱しています。 蝉の死骸やダンゴムシも目につきます。 それらの荒れた場所を掃除し、ゴミを取り除くと、きれいな空間が戻ってほっとします。まるで、穏やかな日常を回復したような気持ちになりました。 聖書には、このすさんだ世界は滅びで終わるのではなく、やがて主なる神がすべてを回復され、新天新地を治められることが描かれています。 主が祝福される、美しく、嬉しく、楽しく、悲しみのない場所です。 神ご自身も共におられ、民を喜び楽しんでくださるというのです。 それがどのようなものか、まだ体験しないうちは想像の域を出ません。 それでも、想像を越えた素晴らしいものであることは確かです。 期待し楽しみにしつつ、今日一日を歩むことができて幸いです。 祈り:神様、台風で被害にあった方を励ましてください。世界各地の災害の場所にいる方を励ましてください。罪と嘆きに満ちた世界に心痛みますが、やがて主の回復があり、新天新地が訪れる希望を感謝します。今日一日の私の歩みにも、永遠の視点を与えてください。アーメン