イザヤ32

「しかし、ついに、 いと高き所から私たちに霊が注がれ、 荒野が果樹園となり、 果樹園が森と見なされるようになる。」イザヤ32:15

「霊」とは神の霊、聖霊です。聖霊がくだる時に、地上に神のすばらしいみわざが現れます。
「注がれ」というのは、リベカがかめの水をらくだのために注いだこと(創24:20)、救い主が「自分のいのちを死に明け渡し」たこと(イザヤ53:12)と同じ表現だそうです。惜しげもなく、豊かに、十分にあふれるほど与える様子です。

神様はひとり子であるイエス・キリストも、聖霊も、惜しみなく注ぎ与えられる方です。決して他人事ではなく、この私のために十字架があり、聖霊が共にいてくださるのです。
一週間の疲れが出ている方がおられるでしょうか?今日は少し静まり休めるとよいですね。目を閉じて福音の恵みを黙想し、聖霊に満たしを祈る時間がもてますように。

祈り:神様、あなたの尽きない恵みを覚えます。聖霊がくだり、今日も働いておられることに感謝します。聖霊によって私に福音の恵みがもっと大きくわかりますように。聖霊に満たされ、深い平安と喜びをもって歩めますように。そして、同じ聖霊が内住される霊の兄弟姉妹の存在に心から感謝します。アーメン