イザヤ22

「二重の城壁の間に貯水池を造って 古い池の水を引いた。 しかし、おまえたちは これを造った方には目もくれず、 遠い昔にこれを形造った方に 目を留めなかった。」イザヤ22:11

ユダ王国(エルサレム)への宣告がなされます。
8節以降に、ユダ王国が町の城壁の補修をしたこと、水源を確保したこと、武器や兵士の数を確認したことなどが列挙されます(ヒゼキヤ王の建設した水路や、シロアムの池のあたりです)。

町を守るための備えを否定しているわけではありません。
でも、神に目を留める以上に自分の力により頼むなら、本末転倒といえます。
水を造った方、創造主こそ、すべてのものの所有者であり力の源です。

ともすれば、私たちも同じ錯覚に陥ります。収入を増やすため、家族を養うため、健康のため、老後のため...。備えるのは悪いことではありません。でも、神を見上げることが後回しになりませんように。

祈り:神様、私たちの必要をすべて知ってくださり感謝します。___のこと、____のことが気にかかっています。あなたに信頼します。今日、主にあって何をすればよいのか、どう連絡を取ればよいのか教え導いてください。アーメン

祈り: