イザヤ29

「ああ、あなたがたは物を逆さに考えている。 陶器師を粘土と同じに見なしてよいだろうか。 造られた者がそれを造った者に 『彼は私を造らなかった』と言い、陶器が陶器師に 『彼にはわきまえがない』と言えるだろうか。」イザヤ29:16

ここでたとえられているのは、陶器師が神、陶器が人です。
人が神に向かって「神などいない」「人は自分の力で生きている」と言うのはナンセンスだということです。

「祈りが聞かれないから、神を信じるのをやめた」とか、「なぜ神は私をこんな目に合わせるのか」と思いたくなることがあったでしょうか?おそらく、1度や2度は誰でもそんな気持ちになったのではと思います。
しかし、それも陶器が陶器師に「彼にはわきまえがない」と言うようなものだ、とこの箇所は私たちを諭してくれます。

神の前で、また他の人との間でも、さらに謙遜な心を持つ者となれますように。

祈り:神様、あなたが私を目的を持って造ってくださり感謝します。暑いと疲れやすく、つい不機嫌になってしまいます。神様にたいしても、周りの人に対しても、謙遜な心を与えてください。進路や導きを祈っている___さん、___さんにあなたのご計画が明らかになりますように。アーメン