詩篇125

詩篇124−126、エレミヤ22−23

「主に信頼する人々はシオンの山のようだ。
 揺るぐことなく とこしえにながらえる。
 エルサレムを山々が取り囲んでいるように
 主は御民を 今よりとこしえまでも囲まれる。」詩篇125:1-2

1節では、信仰者を山にたとえている。山のように動かず、振り回されず、安定して平安と揺るぎない確信を持ち続ける者とされている。
2節では逆に主ご自身を守りの山々にたとえている。ゼカリヤ2:5ではエルサレムは…城壁のない町のようになる。わたしがそれを取り巻く火の城壁となる。わたしがそのただ中で栄光となる」と述べられている。町を守る城壁のように、主ご自身が山々のように囲み危険やわなから守ってくださるのである。

都上りの時に歌われたのだから、坂を登ったり山を越えたりする時、この歌は現実味をもっていただろう。
私たちが都上りをするとは、礼拝を捧げることである。誰かが来なくても、気がかりがあっても、もし礼拝に重要なゲストや久しぶりの旧友が来るならば、楽しみでワクワクしているので、問題は気にならない。もしそのゲストがイエス様だったとしたら…、もちろん、小さな問題は気にならず、イエス様が来られるよ!とそのことで嬉しく、心がいっぱいになるだろう。
ところが、現実に、毎回の礼拝にはイエス様がおられるのだ。だから、もっとワクワクして、喜んで、イエス様をお迎えし、イエス様はどう思われるか、喜ばれるか、そこに焦点を合わせれば良いのだ。つい忘れがちで人を見てしまいそうな礼拝、その原点を忘れないようにしよう。