使徒1

使徒1、Ⅰ列王記21−22

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」使徒1:8

イエス様が天に昇られる前に弟子たちに言われたことばである。そしてペンテコステの日にこのことばが実現した。

それは、聖霊が下られたことによる。もし聖霊の働きがなければ、使徒の働きに出てくるような福音の広がりはなかっただろう。聖霊によって私たちは力をいただくのである。今日も同じく、聖霊の働きなしに何かを自分の思いや力で実行しようと思っても、それは徒労と小さな自己実現に終わってしまう。
この後、弟子たちはイエス様と顔と顔を実際に合わせることはなかった。人間的には、イエス様を懐かしく思い、寂しくもあっただろう。それでも、主の霊がともにいてくださるなら、自分ではできない力と方向性を示され、力強く福音を伝えていった。

私たちはどのくらい聖霊に感謝し、聖霊の内住を大切にしているだろうか。
ナボテ(1列王記21)は約束の地に得た自分の畑を、永遠の財産として大切に思っていた。それゆえアハブ王に殺されてしまうのだが、それ以上に私たちにとって聖霊様の臨在は大切である。


コロナウイルスで、インドでは多くのクリスチャンも召されていった。特に、団体の指導者、リーダーたちが召されて交代が起こっている。これまでのベテランリーダーが突然不在になったのは寂しく痛手であるが、すでに次世代リーダーが育っているのである。
信仰の継承、主の働きの継承が、思わぬ事態の中でも進んでいくのは聖霊の働きである。そしてもちろん、これまで働いた忠実なリーダーたちは、主のみもとで安らぎ、平安のうちにいるのである。
何という主のご計画の深遠さ、人の理解を越えたみ思いか。同時に、愛する人を天に送った家族、教会、団体の慰めと励ましも祈る者である。