使徒14

使徒14、Ⅰ歴代誌25−27

「ところが、アンティオキアとイコニオンからユダヤ人たちがやって来て、群衆を巻き込み、パウロを石打ちにした。彼らはパウロが死んだものと思って、町の外に引きずり出した。しかし、弟子たちがパウロを囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバとともにデルベに向かった。」使徒14:19・20

かつてのパウロがそうだったように、キリストの名が広がるのを好まないユダヤ人は、わざわざ拠点の町からやって来て迫害をした。
パウロは瀕死の状態で、しかも引きずり出されたのだから、普通は死んでしまったことだろう。弟子たちが囲んでいた、とさらっと書いてあるが、ここには若いテモテも混じっていたと考えられる(2テモテ3;10−11)。

そして、彼らはパウロを囲んで観察していただけではなく、聖霊によって祈っていたに違いない。その結果、翌日は移動できるまでに回復した。まさに、主の奇蹟が行われたのである。

今まで、パウロの命がけの信仰が素晴らしいという視点で読んでいたが、今回ここを読んで、神の奇蹟がパウロ自身の上にも臨んだのだということに気付かされた。パウロもただの人である。肉体的には限界があった。しかし、信仰により、主の癒しと奇蹟を何度も受け取ったのだ。

私たちがパウロと同じ目に合うかどうかはわからない。しかし、働きや召しに応じた奇蹟を、神は行ってくださる。時間も能力も、自分の考える限界で計算しなくても、聖霊の働き、神のあわれみにより、神が望まれる働きにふさわしい力が与えられる。焦らず、安心して仕え、歩みたい。