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士師記11

「エフタは主に誓願を立てて言った。『もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます。』」士師記11:30~31 アンモン人との戦いに勝利したかったのでしょう。しかし、むやみに誓ったのがエフタの失敗でした。 家で飼っていた家畜が出てくると思ったのでは、という学者もいます(英語聖書ではwhatever;itと訳しているものもある)。周りの異教の国々の習慣に影響されたのかもしれません。とにかく、戦いの勝利とは裏腹に、悲しすぎる結末になりました。 「誓い」とまでいかなくても、私たちは軽々しく口にしたことで誰かを混乱させたり、傷つけたり、誤解を生じさせたりすることがあります。 日々の暑さと疲れに任せて言葉で失敗することがないように、今日は祈りたいと思います。 祈り: 「私たちは、舌で、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌で、神の似姿に造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出てくるのです。私の兄弟たち。そのようなことが、あってはなりません(ヤコブ3:9~10)。」 神様、私の舌を守ってください。疲れたり思うようにいかなかったりすると、つい不満や不足が出てきます。よく考えないで言葉を出すこともあります。どうか聖霊が、私の思いと舌を制御してくださいますように。暑い日が続きますが、兄姉が霊肉ともに守られ、今日も主にあって歩めますように。突然起こるハプニングにも、主が知恵と力を与えてください。アーメン

士師記10

「彼(トラ)は二十三年間イスラエルをさばき、死んでシャミルに葬られた。彼の後にギルアデ人ヤイルが立ち上がり、二十二年間イスラエルをさばいた。」士師記10:2~3 トラやヤイルはわずか5節の中にしか出てきません。でもトラは23年間、ヤイルは22年間という長い間、仲介者また裁判者としてイスラエルの平和をもたらしました。 記述は短いですが、治めた年数は決して短くありませんでした。 ギデオンやサムソンのような目立つ士師だけでなく、目立たない士師も、神様がそれぞれにユニークに召してくださっているということがわかります。 私たちも、華々しくなくても、忠実に仕える者でありたいと思います。 祈り:神様、たとえ能力や目立つ賜物がなくても、あなたの召しに忠実に仕えさせてください。職場に行く時、いつもキリストと共に向かえますように。介護をする時、あなたの手に重ねて私の手を伸ばせますように。就職、転職、復職を控えた____さん、_____さんのために祈ります。介護をしている____さん、_____さんを覚えて祈ります。  アーメン

士師記9

「こうして神は、アビメレクが兄弟七十人を殺して自分の父に行った、その悪の報いを彼に返された。神はまた、シェケムの人々のすべての悪の報いを彼らの頭上に返された。エルバアルの子ヨタムののろいが彼らに臨んだ。」士師記9:56~57  ギデオンの死後の混乱が書かれています。ギデオンの息子だったアビメレクが自分の兄弟70人を殺し(5節)、それに手を貸したシェケムの住民がアビメレクを裏切り(24節)ます。情勢が次々と変わる中で、神様は一連の悪事を覚えておられました。 一時的には悪い者が得をするように思えても、やがて神が介入され、正しいさばきがあるのだと学びます。 私たちの近所にも世界にも、不条理なことが起こります。一喜一憂します。私たち信仰者には、神の介入と解決を祈り、時には勇気をもって声を上げる使命が与えられています。 祈り:神様、身近な地域や職場の不公平、政治や権力のごまかし、侵略や戦いがあちこちにあります。あなたが介入し、悪のたくらみを打ち砕いてください。私たちが誠実に歩めるよう助けてください。社会に向け、聖書的な意見、主の愛に押し出された声をあげることができますように。アーメン

士師記8

「ギデオンは、それでエポデを一つ作り、彼の町オフラにそれを置いた。イスラエルはみなそれを慕って、そこで淫行を行った。それはギデオンとその一族にとって罠となった。」士師記8:27 はじめの動機はよかったのに、だんだんと本来の目的を忘れてしまうことがあります。例えば、愛する家族を養おうと働き始めたのに、だんだんと家族そっちのけで経済的な報酬が目的になってしまうこと。主のためにと奉仕を始めたのに、他の人と比べ批判する場になってしまうこと...。 あのギデオンでも失敗するのですから、私たちは誰でも失敗する危険があります。 処方せんは「初めの愛に戻るーーどこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをする(黙示録2:4~5参照)」です。 祈り:神様、今日もう一度、あなたが私を救ってくださった愛を思い出し、黙想します。十字架の元に身をおきます。あなたが私を背負い、私がいつもあなたの後にいるようにしてください。最初の愛から外れそうな事柄があったら、Finetune(チューニングを合わせる;微調整)できますように。アーメン

士師記7

  主はギデオンに言われた。「あなたと一緒にいる兵は多すぎるので、わたしはミディアン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないからだ。士師記7:2 32000人も集まっていたのに、最終的に残ったのはわずか300人でした。そして、その300人で奇襲をかけ、イスラエルは勝利したのでした。 32000人いた時は心強かったと思います。1万人になって少し不安になったかもしれません。そして、まさか300人とは!敵は「イナゴのように大勢」、「彼らのラクダは、海辺の砂のように多くて数えきれなかった」(12節)のに。     人に頼るか、主に頼るか。規模や種類は違っても、私たちも日々直面することです。神はもちろん、人や状況を用いられます。しかし、その指揮と備えは主から来ます。大きな決断、小さな選択が、みことばと祈りによってできますように。信仰に基づく友の助言を、謙遜に受け入れることができますように。 祈り:神様、あなたは私たちの思いを越えて働かれる方です。うわべの現状や感情だけで判断しないよう、信仰と知恵を与えてください。また、大胆さと共に謙遜な心を与えてください。アーメン

士師記6

「主の使いが彼に現れて言った。『力ある勇士よ、主があなたとともにおられる。』」士師記6:12 「晴天の霹靂(へきれき)」の意味を調べると「急に起こった大事件や出来事。突然受けた衝撃」と説明されています。 ギデオンにとって「晴天の霹靂」でした。家柄も地位もなく(15節)、理解できない苦境にあり(13節)、「力ある勇士よ」はそぐわない呼び掛けでした。 しかし神が見ておられるのは、内なる人であり、その人の召しであり、神のご計画そのものです。 この後、ギデオンは主に何度も確信を求めました。主はギデオンに語り、コミュニケーションを拒絶するどころか、「わたしはあなたとともにいる」と都度答えてくださったのでした。 私たちも、自信がないとき、弱いとき、主に「しるしを見せてください!」「なぜですか」「いつまでですか」とそのまま申し上げる率直なコミュニケーションをとれますように。 祈り:神様、あなたの前にありのままで出ます。力なく、自信なく、信仰の弱い者です。あなたが力づけてくださり、助けてくださらなければ、進むことができません。 「瞳のように私を守り 御翼の陰にかくまってください(詩篇17:8)」。あなたと共に選び決断し語らせてください。 アーメン 祈り:

士師記5

「聞け、王たち。耳を傾けよ、君主たち。 私、この私は主に向かって歌う。 イスラエルの神、主にほめ歌を歌う。」士師記5:3 5章は女性の士師、デボラの作った歌だろうと言われています。 彼女はイスラエルを40年の平和に導き、堂々としたリーダーぶりを発揮し、同姓としてもすごいなあと感嘆する存在です。 士師の役目は戦いに勝つことだけでなく、民に主を見上げさせることでした。デボラは「私、この私は主に向かって歌う」と宣言しています。リーダーがまず主に目を向ける姿勢を示し、民はそれにならうのです。 私たちは正式な「リーダー」ではないかもしれません。でも、教会の新しい人たちや家族にとっては、私の信仰の姿勢が大きな影響を及ぼします。 デイキャンプに初めて来た人たちにとっては、迎えた人が教会の顔でした。 今日も、「私、この私は主に向かって歌う」と信仰の一歩を踏み出すことから始めたいです。 祈り:神様、勝利も解放もあなたからのものです。私に感謝の心、主を賛美する心を与えてください。否定的な思いや批判的な姿勢をやめ、ともに建て上げる思いと主への希望を持てますように。子どもデイキャンプをお守りくださり感謝します。参加された______さん、______さんの救いと祝福を祈ります。アーメン

士師記4

「ラピドテの妻で女預言者のデボラが、そのころイスラエルをさばいていた。」士師記4:4 「だが、ヘベルの妻ヤエルは天幕の杭を取ると、槌を手にしてそっと彼に近づき、そのこめかみに杭を打ち込んで地に突き刺した。彼は疲れて熟睡していたのである。こうして彼は死んだ。」士師記4:21 人口調査の時は数にも入らず、男性のようには腕力もない女性たちがイスラエルの歴史に大きな影響を与えました。一人は士師デボラ、もう一人はヘベルの妻ヤエルでした。 彼女たちが普段どのような扱いを受けていたのか、詳しくは書かれていません。デボラはリーダーシップをとっていたようですが、ヤエルについてはわかりません。 でも、神様は思いがけない人を用いて、思いがけないことをされます。神の目には「思いがけない人」ではなく、いつも目を配っている「愛する人」なのです。 祈り:神様、あなたは小さな私にも目を注ぎ、愛してくださっていることを感謝します。あなたが望まれる方向に今日も進めますように。今日はデイキャンプです。幼い子どもたちは、神様にとって大切な存在です。私たちが同じ目線で彼らを愛し、福音を受けとれるよう祈り、一日喜んで仕えられますように。アーメン

士師記3

「これは、彼らによってイスラエルを試み、主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうかを知るためであった。」士師記3:4 2節に「(主が敵を残されたのは)イスラエルの次世代の者、特にまだ戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためであった」と書かれているので、一見「好戦的な神」のような印象を受けます。 でも、神様の目的はイスラエルの信仰を試すためでした。勝利は武器や人の力ではなく、神の力と知恵に頼るものであることを教えようとされたのです。 聖書全体を見るなら、方向は平和と和解です。ある聖書学者は ・旧約では戦争が多くあり、目立っており、聖戦とさえ宣言されているにもかかわらず、旧約自身の各部分からでさえ、神の目的の方向性が平和に向かっていることは明らかである。 ・旧約のある箇所における偏狭な国家主義への傾向にもかかわらず、神がすべての民のために、ご自分の民を選び、旧新約における神の目的の方向性が国際的であることは明らかである。 (リチャード・ボウカム「聖書と政治~社会で福音をどう読むか」いのちのことば社、p.16) と述べています。 イエス様もご自身が十字架にかかられる前に「剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます(マタイ26:52)」と言われました。 戦いだらけのように思える士師記でも、計算すると平和な年数の方が多いことを知ります。 (被支配 111年、平和 200年、士師の統治 99年、計 410年: Cultural Background Study Bibleより) 祈り:神様、旧約聖書の中の戦いも今日の戦争も、私たちの罪と頑固さから生じた暗く悲しい出来事です。私たちが聖書の真意を読み取ることができますように。信仰者として、平和と和解のために祈り続けることができますように。国家間だけでなく、私の周りの痛んだ人間関係に、平和と和解がやってきますように。私をあなたの愛で満たしてください。 明日は子どものデイキャンプです。あなたの愛が子どもに届きますよ うに。私たちもあなたの恵みと愛を動機として働きます。どうぞ導いてください。アーメン

士師記2

「主が彼らのためにさばきつかさを起こしたとき、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさが生きている間、彼らを敵の手から救われた。...しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らは元に戻って先祖たちよりもいっそう堕落し、ほかの神々に従い、それらに仕え、それらを拝んだ。彼らはその行いや、頑なな生き方から離れなかった。」士師記2:18~19 士師記では、 人々が主を忘れて堕落する →困難が起こる →人々が主を思い出して叫ぶ →士師(さばきつかさ)が立てられ、敵から救われる →士師の死後、また主を忘れて堕落する というパターンが何度も繰り返されます。 「なぜ前の失敗から学ばないのだろうか」と感じます。 でも、自分の歩みを振り返ると、イスラエルの人たちと似たところがあることに気づきます。主がよくしてくださったことへの感謝がうすれ、今の小さな問題や自分の弱い部分でうろたえたり悩んだりしてしまいます。 主のよくしてくださったことを自分の心に記念碑のように立て、ことあるごとに確認するには、あかしをするのが一番だと思います。 あかしは自慢やメッセージではなく、自分の人生そのものに主が何をしてくださったか、主の恵みを分かち合うものです。あかしを準備し、シェアするプロセスを通して、自分自身が主のみわざを再確認でき、記憶を新たにできるからです。 祈り: 「わがたましいよ 主をほめたたえよ。 主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)」 神様、あなたがこれまで私の人生にしてくださった良いことを感謝します。独り占めして忘れるのではなく、恵みをあかしできますように。苦手意識を持つことなく、恵みの感謝をありのままで分かち合うことができるよう、助けてください。アーメン

士師記1

「 主 がユダとともにおられたので、ユダは山地を占領した。しかし、平地の住民は鉄の戦車を持っていたので、ユダは彼らを追い払えなかった。」士師記1:19 士師記は約束の地、カナンを平定する記録で始まっています...ただし、途中から「追い払えなかった」「追い払わなかった」と不完全だったことがクローズアップされてきます。 表面的には、イスラエルが情けをかけたか寛大だったかのようにも読めます。 しかし、偶像礼拝や異教の習慣、モラルの乱れに浸らないようにという主の意図からは外れていました。 私たちも「少しくらいなら良いだろう」という妥協が、大きな失敗や滅びに至る例を知っています。麻薬、ギャンブル、そして占いや偶像礼拝...。気がついた時にはがんじがらめになり、自由な選択ができなくなるのです。 心の中で、「これぐらいなら」と主の前に妥協していることがないか、考えさせられます。日曜礼拝だけでなく、それ以外の生活の中で信仰の真価が試されることを覚えます。 「私は主がともにおられるので、________。」の空欄には、どんな内容が入るでしょうか(入れたいでしょうか)。 祈り:神様、あなたがともにおられることを感謝します。家庭で、職場で、学校で、地域で、日々の生活の中_____の点で信仰が試されます。私の反応、言葉、行動があなたのみ思いにかなうよう助けてください。 「...わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませることを、あなたがたは知らないのですか。新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです(Ⅰコリント5:6~7)。」 アーメン

ヨシュア24

「主に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主に仕える。」ヨシュア24:15 昨日と今日の箇所は、ヨシュアの訣別説教です。今日の24章は民全体に語られています。ヨシュアは「あなたがたと家族は、主なる神に仕えるのかどうするのか選びなさい」とチャレンジします。 そして「私と私の家は主に仕える」と自分の意思表明をします。リーダーとして、まず自分の姿勢と態度を示したのでした。それは思いつきでも見せかけでもなく、ヨシュアの心からの願いでした。主なる神様がどれほど素晴らしく真実であるかを体験した人の本音でした。 日本のクリスチャンは、数は少なくてもヨシュアのような立場にあると思います。 私たちが主の愛と恵みがどれほど素晴らしいかを知ったなら、「私と私の家は主に仕える」と宣言の祈りをしてみてください。 キリストへの信仰は強制やカルト的なものではありません。自由意思による応答です。キリストとの親しい関係です。今日、何を選びますか。 祈り:神様、あなたの愛と恵みを感謝します。私自身は失敗ばかりで、人格的にも未熟なものです。キリストの姿に従い、霊的にも人格的にも成長していきたいです。私と私の家族が、心から喜んで御霊の実を結ぶことができますように。 「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません(ガラテヤ5:22~23)。」 アーメン

ヨシュア23

「だからあなたがたは自分自身に十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。」ヨシュア23:11 昨日と今日はヨシュアの訣別説教(メッセージ)です。23章はまずリーダーたちに語った部分です。当時の中東社会の法律は、祝福とのろいを対比して書く習慣がありました。神様はそうした習慣を用いつつ、ヨシュアを通して語られました。 私たちは「車にぶつかってケガをするから、道に飛び出してはいけないよ」「危ないから、包丁を振り回さないように」と子どもたちを教えます。それは子どもたちが安全で幸せに育ってほしいからです。 神様も、私たちが幸せに平安に生きていくために戒めてくださいます。 今、「聖書と政治~社会で福音をどう読むか」「科学者はなぜ神を信じるのか」という2冊の本を読んでいます。どんな分野に置かれていても、注意深く「自分自身に十分に気をつけて」神である主を愛することが原点です。私が「十分に気をつける」ために、今日どんな助けが必要でしょうか。 祈り:神様、私の目を開いてください。あなたの戒めと教えを受けとり、今日の自分自身の生活に適用することができますように。各分野にいる専門家たちがあなたを認め、あなたの前にへりくだり、平安を得ることができますように。アーメン

ヨシュア22

「ルベン族とガド族はその祭壇に『これは私たちの間での、主が神であることの証しだ』と言って名をつけた。」ヨシュア22:34 ルベン族、ガド族、マナセ族(の半分)は、ヨルダン川の東側にすでに土地を得ていました。でも引き続き、同胞がヨルダン川の西側に割り当て地を得るまで共に協力し、務めを果たしました。ヨシュアは彼らの忠実さをほめています(2~3節)。 彼らが建てた記念の祭壇は、当初誤解を招きました。偶像礼拝ではないのか、と。しかし彼らはきちんと意図を説明し、誤解を解きます。そして、その祭壇を 「これは私たちの間での、主が神であることの証しだ」 と名付けます。 動機がどんなによいものであっても、私たち人間の理解力や知恵には限界があるので、時に誤解や行き違いが生じます。信仰の友の間でもそうです。 傷つき、悲しくなることもあります。けれどもそれで終わらないで、主と人の前に純粋に申し開きをすること、説明をすることが大切なのだと学びます。 誤解が解けて許しあったら、いつまでもこだわらず、思いを一新して再び歩み始める姿勢を、今日の3部族の対応から教えられました。 祈り:神様、過去に受けた誤解や傷ついた言葉、態度への苦みから解放してください。あなたが和解とゆるしに導いてくださいましたから、心のわだかまりを十字架の元に置きます。何よりも、イエス様が十字架で私たちの罪をあがなってくださり、ゆるしてくださったのですから、その恵みを思い出させてください。 「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない(イザヤ43:25)。」 感謝します。アーメン

ヨシュア21

「主がイスラエルの家に告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現した。」ヨシュア21:45 相続で親族がもめたり、うまくいかなかったりという話を時々聞きます。 ひとつの家族でも難しいのですから、部族ごとの相続地を確定するのはもっと難しい事業でした。 ヨシュアのリーダーシップは、主なる神様のみこころを求め、従うという姿勢に基づいていました。また、人々の信仰も、荒野の旅や主の奇蹟を通して整えられていきました。 数々の困難を通りながらも、主がイスラエルの人々に告げられたことは、「一つもたがわず、すべて実現した」のでした。 家族や親族の間のトラブルは、私たちの知恵や思惑だけでは解決できません。 コミュニケーションの取り方に悩んでおられる方もおられるでしょう。 神様の知恵と介入がありますように。主のみこころを求める方が、家族や親戚の中に起こされますように。 祈り:神様、カナンの土地分割という難しい事業が平安のうちに行われたことを知りました。あなたにとっては、私の家族や親族の中にある問題も難しくありません。あなたの介入、あなたの解決を信じます。私を、謙遜で純粋な者としてください。同じ主を見上げて祈る信仰者が、家族や親戚の中に起こされますように。アーメン