ゼカリヤ12

「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。」ゼカリヤ12:10

「自分たちが突き刺した者」とは人々が「わたし」すなわち神ご自身です。
ヨハネはイエス・キリストの十字架についてこの節を引用しました。

「これらのことが起こったのは、『彼の骨は、一つもおられることはない』とある聖書が成就するためであり、また聖書の別のところで、『彼らは自分達が突き刺した方を仰ぎ見る』と言われているからである。」(ヨハネ19:36~37)

この節の最初は「ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ」と始まります。たとえ人々が突き刺しても恵む、いや十字架の上に突き刺されることこそ、神の恵みの計画だったことを覚えます。

イエス・キリストを信じる者は、全世界どこにいても神の恵みを受けています。激しい涙は、神の深いあわれみゆえの感激の涙となります。

祈り:神様、イエス・キリストを十字架に突き刺したのは当時の人々だけでなく、私の罪ゆえでした。私自身のために突き刺され、いのちをもって救いの道を開いてくださったことに感謝します。十字架の恵み、はかりしれない価値に感謝します。
___さん、___さんがこの贈り物を純粋に受けとることができますように。アーメン