詩篇11

「主は その聖なる宮におられる。 主は その王座が天にある。 その目は見通し そのまぶたは人の子らを調べる。」詩篇11:4

「何でもお見通し」という表現があります。子どもがいたずらを隠したつもりでも親は状況を把握している、というような場合に使います。

同じように、主の目は「何でもお見通し」です。人には隠せても、主に隠すことはできません。アダムとエバが罪を犯して隠れても、主は見通しておられました。ダビデがバテシェバと不適切な関係を持った時も、預言者を通して明るみに出されました。

罪の結果、アダムとエバはエデンの園を追われ、バテシェバの生んだ子は死にました。私たちも、罪の結果の傷跡がかつての怪我の傷跡のように残ることはあります。

しかし、主は回復してくださる方でもあります。アダムとエバに皮の衣を着せてくださり、ダビデを赦し息子ソロモンを与えてくださいました。姦淫の現場で捕らえられた女性を戒め赦してくださいました。

何より、同じように数々の罪にまみれた私たちのために、ひとり子を十字架につけてあがなってくださいました。
これほどの恵みを、体験した者は語らずにはいられません。

祈り:神様、私は罪人として生まれました。十字架により、私の罪をぬぐってくださり感謝します。罪の呵責からも解放してくださいました。十字架の恵みを今日も深く味わいたいです。義なる神様、同時に愛に満ちた神様、感謝します。アーメン