出エジプト記34

「イスラエルの子らがモーセの顔を見ると、モーセの顔の肌は輝きを放っていた。モーセは、主と語るために入って行くまで、自分の顔に再び覆いを掛けるのを常としていた。」出エジプト記34:35


モーセ自身が光ったのではなく、彼の顔は主の栄光を反映して輝いていました。私たちも、自分には光るものが何もなくても、神が共におられるなら、神の栄光を反映する者として用いられます。月が自分では光らなくても、太陽の光を反射して光るように。私たちの顔を、思いを、生活を主の前にまっすぐ差し出すなら、たとえ私たちがぼろきれのようにみすぼらしくても、主はご自身の栄光のために用いてくださいます。

祈り:「私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです」(第2コリント4:7)。
神様、土の器の私を通して、あなたの栄光が輝きますように。今日も通りよい管として用いてください。アーメン