マタイ8

マタイ8、創世記29〜30
マタイ8:3「わたしの心だ。きよくなれ」

この章にはイエス様のなさった数々の解放のわざが記述されている。
ツァラアトに冒された人(2−4節)、百人隊長の僕の癒し(13節)、ペテロの姑の癒し(15節)、悪霊追い出しや病人の癒し(16節)、嵐を静める(24−27節)、悪霊の追い出し(31−33節)


これは作り話ではなく、実際に行われたことであると信じている。
それならば、今日も日常生活で、神が常に働かれていること、神の介入があることを認めることができる。

創世記29-30章では、子どもが与えられるよう、レアとラケル姉妹の壮絶な争いが行われている。奴隷まで使って自分の側が勝ちたいという、まさに人間のエゴむき出しのライバル心である。
しかしヤコブは「私が神に代われるというのか。胎の実をおまえに宿らせないのは神なのだ」(30:2)と言った。
策略家だったヤコブが言ったこの言葉こそ、神が全てを支配しておられることを正確に表現している。

私たちは神に代わることはできない。今与えられている恵みに感謝し、神の介入を待ち望む者として造られている。願いを、百人隊長のように御前で申し上げる者として主に近づきたい。