マタイ10

マタイ10、創世記33~35


マタイ10:8b「あなたがたはただで受けたのですから、ただで与えなさい。」

神様から使命をいただいて仕えていく時に、ケチになるべきではない。なぜならその力はただで与えられたのだから。
卑下し自信をなくすべきではない。なぜならそれは神が望まれたことだから。
完璧にやろうとすべきではない。人間では完璧は無理で、神がそれを遂行なさるのだから。


ヤコブはエサウへの宥めの方法をあれこれ画策したが、いざエサウがくると、彼はヤコブを「迎えに走って来て、彼を抱きしめ、首に抱きついて口づけし、二人は泣いた」のであった(創世記33:4)。

ヤコブには神が多くのものを与えてくださったが、エサウもまた神の祝福を十二分に受けていた。創世記33:9で「私には十分ある。弟よ、あなたのものは、あなたのものにしておきなさい」
というほどであった。
神が、長子の権利を軽蔑した不完全なエサウにも、そしてずるいヤコブにも恵みを豊かに与えてくださっていたのである。
そして、彼の心も神によって守られ、柔和な和解を受け入れる面を与えられていたのである。

経済的なことだけでなく、ミニストリーや奉仕の遂行の力と賜物、機会が主からただで与えられていることを覚える。神様に抱かれている安心感を持って大胆に踏み出したい。