投稿

ハガイ2

「その日、 ──万軍の主のことば── シェアルティエルの子、 わたしのしもべゼルバベルよ、 ──主のことば── わたしはあなたを選んで印章とする。 わたしがあなたを選んだからだ。 ──万軍の主のことば。」ハガイ2:23 2章では、まずリーダーを含む民全体へ(2節~)、ついで祭司たちへ(11節~)、そしてユダの総督ゼルバベルへ名指しで(21節~)、主のことばが語られます。 「強くあれ」「恐れるな」「わたしがあなたがたとともにいるからだ」、 「銀はわたし(主)のもの。金もわたしのもの(8節)」だと、励ましが重ねて語られます。 特にリーダーだったゼルバベルには「あなたを印章とする。わたしがあなたを選んだからだ(23節)」と励まされました。 今日も、神様はさまざまな方法で励ましてくださいます。個人的に直接、祈りやみことばを通して、信仰の先輩や友を通して、状況を通して...。 みこころの歩みができなかったと感じているでしょうか? 主は民の残りの者を回復してくださったように、心の砕かれた人を回復へと導いてくださいます。 祈り:神様、あなたが励まし導いてくださることに感謝します。私の今日の歩みも、主が先に立って導いてください。長い間導きを求めている方に、主のみこころが様々に示され、確信を持って歩み出せますように。アーメン

ハガイ1

「この宮が廃墟となっているのに、 あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか。」ハガイ1:4 民が捕囚から帰ってきました。神の宮の再建をしようとしましたが、途中で工事がストップしました。だんだん人々は、自分の家や所有物の再興を優先させていきました。 ハガイはこのような時に、民を励まし、主に心を向けるようにと述べます。 「主の宮がぼろぼろなのに、自分だけがよい家に住むのか」と。 自分の部屋を片付ける前に会堂掃除に来たという人に、宣教師が今日の箇所を引いて喜ばれたことが印象に残っています。 自分の家の再興も部屋の片付けも、悪いことではありません。しかし、主なる神のこと以上に大切にしているなら、優先順位は正しいかと心を点検する時です。 祈り:神様、自分のことが心の優先順位を占めがちな私たちです。日曜日の子どもメッセージの 「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。(マタイ6:33)」 を、今日じっくり思い巡らします。 神の国のために労する___さん、___さんに、今日も励ましと主のねぎらいがありますように。アーメン

ゼパニヤ3

「『あなたの神、主は、あなたのただ中にあって 救いの勇士だ。 主はあなたのことを大いに喜び、 その愛によってあなたに安らぎを与え、 高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる』と。」ゼパニヤ3:17 さばきの後、残った民の回復が預言されます。17節は主がその人たちを喜び、愛しておられる様子です。 ちょうど、放蕩息子(ルカ15章)で父がぼろぼろの息子の帰りを待ち、抱いて喜んだ場面と重なります。旧約の描写は、イエス・キリストご自身によっていっそう明らかにされます。 私たちがどれほどぼろぼろでも、手土産のひとつがなくても、神様の元に帰ることが神の無上の喜びだというのです。 この次には、捕囚から帰って来た民の様子に触れたハガイ書が続きます。短い預言書でも、それぞれの背景や相互の書の関係を考えながら読むと、神様の愛とご計画の素晴らしさがいっそう感じられます。 祈り:主なる神様、あなたは私に関するすべてのことのただ中におられます。あなたは勇士であり、私を救ってくださいます。私のことを喜び、愛によって私に安らぎを与え、高らかに歌って私のことを喜んでくださる方です。感謝します。アーメン

ゼパニヤ2

「すべてこの国の、 主のさばきを行う柔和な者たちよ、 主を尋ね求めよ。 義を尋ね求めよ。柔和さを尋ね求めよ。 そうすれば、主の怒りの日に、 かくまってもらえるかもしれない。」ゼパニヤ2:3 ユダの国に住む「柔和な者たち」への呼び掛けがされます。 「主を尋ね求めよ」「義を尋ね求めよ」「柔和さを尋ね求めよ」と。人間的な戦略や情報から目を離して、主のまなざしに自らの視点を重ねることが勧められます。 人々のうわさ話は、元々戦略的に生き残るための手段だったそうです。そして今日も、私たちの脳は、うわさ話をすると快感を感じるそうです。 木曜集会では、うわさが高じた「陰口」が教会の一致を妨げる主要因だと学びました。誰か(働き人でも)が陰口を始めたら、優しく諭すこと、祈りで終えることも学びました。 陰口が生き残りのためだとすれば、私たちは陰口を言う時、神の恵みでなく自分の力で生き残ろうとしているのでしょう。陰口を言うか言わないかは、主に生かされている信仰があるかどうかが問われているとも言えます。今日、どちらを選びますか。 祈り:神様、あなたを尋ね求めたいです。義と柔和を尋ね求めたいです。私に純粋で柔和な心を与えてください。 「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。  義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。(マタイ5:5~6)」 アーメン

ゼパニヤ1

「口をつぐめ。神である主の前で。 主の日は近い。 主はいけにえを備え、 招いた者たちを聖別されたからだ。」ゼパニヤ1:7 「ゼパニヤ」という名前には、「主がかくまってくださる」という意味があるそうです。 ユダのヨシア王の時代に、すでに北王国は滅びていました。エレミヤなど他の預言者と同じ時代に、ゼパニヤは主の日が近いこと、そして私たちの真中に主がおられることを告げました。 主が悪をそのままにされない方であること、そして罪を悔い改め、主の前にへりくだる者と共にいて守ってくださる方であることを覚えます。 今日は、何が正しくて何が悪いのか、どの基準が正しいのか、非常にあいまいになっています。こんな時代だからこそ、時代を越えてもゆるがない主の基準があることは、安全な錨だと感じられます。 その主の前で「口をつぐ」み、主のことばを聴くデボーションは、日々私たちが頼れる杖を頂く時間となります。 祈り:神様、あれかこれかと迷いの多い現代社会、そして私の心です。あなたのみことばを、日々頼りにして歩みたいです。みことばの意味がよりわかるように、それを実践できるように、聖霊様が今日も導いてください。アーメン

ハバクク3

「しかし、私は主にあって喜び躍り、 わが救いの神にあって楽しもう。」ハバクク3:18 東京都がミサイル攻撃に備えた地下シェルターを整備するそうです。ウクライナでも、地下鉄構内など地下に人々が避難していました。災害、戦争と、恐れは尽きません。 ハバククが預言したのも、バビロンが攻めてきて、国が荒れ果てる様子でした。「 いちじくの木は花を咲かせず、 ぶどうの木には実りがなく、 オリーブの木も実がなく、 畑は食物を生み出さない。 羊は囲いから絶え、 牛は牛舎にいなくなる。(17節)」 しかし、「しかし、」と彼は続けます。 どんな状態になっても、「私は主にあって喜び躍り、 わが救いの神にあって楽しもう」と。 なぜ喜び楽しめるのでしょう。それは、「 私の主、神は、私の力(19節)」だからです。主は「 私の足を雌鹿のようにし、 私に高い所を歩ませ」てくださる方です。 状況に左右されず、信仰告白する彼の姿に学びます。私たちも不安をあおるような情報に接しても、むやみにうろたえる必要はありません。必要な備えはしますが、心を静めていっそう主にすがる者となりましょう。 祈り: 「また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません(マタイ24:6)」と教えてくださったイエス様、ありがとうございます。 不安や恐れから心を守ってください。あなたに身を寄せる者は、心の深い所に平安をいただき、いつも心がシェルターにいるようです。今日、突発的なことが起こっても、あなたから平安を受け取りたいです。私に信仰を与え、心をお守りください。アーメン

ハバクク2

「主は私に答えられた。 『幻を板の上に書き記して、確認せよ。 これを読む者が急使として走るために。』」ハバクク2:2 ハバククは主に見せられた幻を書き記して置くようにと命じられました。それは内容が明らかで、まだ知らない人にも遅れることなく伝達できるようにするためでした。 今日の箇所から、私たちのあかしを準備しておくことの大切さを学びます。あかしは、素晴らしい主が私に何をしてくださったか、主の栄光を個人的な体験を通して分かち合うことです。文章にして書き留めておく、あるいはいつでも話せるようにしておく、など方法は様々ですが、いつでもできるように準備しておくことが大切です。 「正しい人はその信仰によって生きる(4節)。」イエス・キリストを自分の主として信じた人が義人と認められます。救ってくださるのは主、その主を信じる機会を分かち合うのが私たちです。 祈り:神様、あなたが私を救ってくださったこと、これまで恵みを表してくださったことを、他の人たちに紹介したいです。未熟な私の言葉を備え、整えてください。アーメン

ハバクク1

「いつまでですか、主よ。私が叫び求めているのに、あなたが聞いてくださらないのは。『暴虐だ』とあなたに叫んでいるのに、救ってくださらないのは。」ハバクク1:2 ハバクク書は、ハバククの問いで始まります。「いつまで」「なぜ」という叫びです。 故国の乱れた様子を嘆く彼に、主は答えられます。それはカルデア人、つまりバビロンを通して故国を罰するという答えでした(5〜11節)。 それに対して、ハバククは再び「なぜですか」と主に問い叫びます。 主のなさることに口を挟むなんて、と思うでしょうか。しかし、そこには主との限りない親しさと豊かな交わりを感じます。 主とこのようにコミュニケーションを保ち、思いをそのまま言える親しさを、私たちも今日得たいと思いませんか。 祈り: 神様、あなたはいつも語りかけてくださいます。背を向けて聞かない態度を取るのでなく、そのままで主に近づかせてください。あなたと豊かな交わりに導いてください。アーメン

ナホム3

「アッシリアの王よ。おまえの牧者たちは眠り、 高貴な者たちはじっととどまっている。 おまえの民は山々の上に散らされ、 集める者はだれもいない。」ナホム3:18 自分たちで一生懸命備えた防御が役に立たなかった時には失望します。 さらに、頼みにしていたリーダーが肝心な時に頼りにならないという時、どれほどがっかりすることでしょう。 アッシリアに起こるというのは、そのようなことでした。 では、アッシリアはどうすればよかったのでしょうか。ナホム書の最後である3章は、私たちに問いかけているように思えます。 私たちも、頼りにしていた人や財産が当てにならず、落胆する時があるかもしれません。 どうすればよいのでしょうか。 それは、主を知り、主にすがることです。 神様がいなければどうしようもないという事態が、人生の歩みでは必ず起こってきます。 神様はアッシリアが悔い改めるよう、ヨナやナホムに預言を与えられました。 私たちにも呼び掛けておられます。 祈り:神様、敵のために祈りなさいと、イエス様を通じて教えてくださいました。どうか、私たちにもっと愛を教えてください。キリストを知らずに悩み苦しむ人々のため、真剣に祈ることができるよう助けてください。アーメン

ナホム2

「主がヤコブの威光を、 イスラエルの威光のように回復されるからだ。 まことに、荒らす者が彼らを荒らし、 彼らのぶどうの枝を損なう。」ナホム2:2 ニネベがやがてさばかれ、ヤコブとイスラエル(旧約の南北に分裂していた国)が守られる宣言です。旧約時代には、神様は実物教材として具体的な民族を用いて約束を示してくださいました。 もちろん、独りよがりの義を主は喜ばれません。新約時代の私たちは、特定の民族だけでなく、救いが全世界に広がったことを知っています。かかったイエス・キリストの十字架は、信じる人すべてにとって神の救いです。 今日も、世界を見回せば罪と悪が満ちています。しかし、今日の箇所は、やがて悪がさばかれ、最後まで主に信頼する者は救われるという信仰へと私たちを導いてくれます。 祈り:神様、悪が栄える今日の世界には、うそやごまかしが満ちています。見分ける心をください。こんな時だからこそ、教会と信仰者一人一人が、主の光をいっそう反映させることができますように。特に、介護や医療福祉分野で働く___さん、___さんに、今日主の励ましがありますように。アーメン

ナホム1

「主はいつくしみ深く、 苦難の日の砦。 ご自分に身を避ける者を知っていてくださる。」ナホム1:7 ナホム書は、アッシリアの首都ニネベへのさばきの宣言を記しています。 しかし、やみくもに怒る方では決してありません。 悪を「決して罰せずにおかれることはない」方ですが、「怒るのに遅」い方、「力強い方」(2節)でもあられます。 さらに、「いつくしみ深く」「苦難の日の砦」、「ご自分に身を避ける者を知っていてくださる」のです。 私たちの周囲に静かに耳を傾けると、トラブルや悲しみの真ん中にいる人の声が聞こえてきます。愛する家族の死が近いという方の沈んだ声を聞くと、胸が痛みます。 叫び求める時主以上に頼れる方がないこと、この方に身を寄せ永遠のいのちが与えられる平安を、一人でも多くの方が知り体験できますようにと、切に祈ります。 祈り:神様、あなたのくださる平安といのちを、___さんも____さんも受け取ることができますように。苦難の日の砦であり、ご自身に身を避ける者を知ってくださる主との出会いが、日本中の人々にありますように。アーメン

ミカ7

「しかし、私は主を仰ぎ見、 私の救いの神を待ち望む。 私の神は私の言うことを聞いてくださる。」ミカ7:7 「私の神は私の言うことを聞いてくださる」は、ご利益主義のように聞こえるかもしれません。 しかし、この節の前半から見ると、忍耐して神を信じ待ち望む信仰の姿勢のあらわれだとわかります。 私たちも、神様が祈りと願いに耳を傾けてくださることを信じましょう。たとえ祈ることさえ難しい試練にあっても、共にいてくださる聖霊がうめきとりなしてくださいます。 「私の敵よ、私のことで喜ぶな。 私は倒れても起き上がる。 私は闇の中に座しても、 主が私の光だ。(8節)」 倒れても、闇の中にいるようでも、それで終わりではありません。 罪は悔い改めにより赦されます。そして、どんな苦境や試練の中でも神は見捨てられません。 祈り:神様、倒れている私の手をとって起こしてくださる主、闇の中に輝く光である主を賛美しあがめます。 闇の中にいるような苦境にある___さん、___さんに、イエス・キリストの愛を届けたいと願っています。機会と言葉を与えてください。私らしく、自然な形で福音のあかしができますように。アーメン

ミカ6

「主はあなたに告げられた。 人よ、何が良いことなのか、 主があなたに何を求めておられるのかを。 それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、 へりくだって、 あなたの神とともに歩むことではないか。」ミカ6:8 主が求めておられることは 「公正を行い」 「誠実を愛し」 「へりくだって、あなたの神とともに歩む」 ことです。 とはいえ、私たちは不完全です。公正でありたい、誠実でありたいと願いますが、偏った視点しかもてなかったり、誠実を尽くしたつもりでも他者を傷つけたりします。 へりくだりたいと思っても、心のどこかに比較したい気持ちがあるのかもしれません。 イエス様も「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(マタイ22:37,39)と言われました。 シンプルながら、なんと高い基準でしょうか!できない自分の弱さと限界を知ります。 失敗を悔い改めつつ、主の手にすがってよちよち歩きをする、そんな私たちを主は導いてくださいます。一歩一歩、イエス様の姿を目指して今日もあわれみにすがります。 祈り:神様、私にあなたのみ思いに歩めるよう、今日も助けてください。主と共に歩みたいと切に願います。腹の立つことには、あなたの愛のまなざしを教えてください。誠実でへりくだった歩みをさせてください。____のことも、主の御手にゆだねます。アーメン

ミカ5

「ベツレヘム・エフラテよ、 あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。 だが、あなたからわたしのために イスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、 永遠の昔から定まっている。」ミカ5:2 クリスマスによく読まれる箇所です。イエス・キリストがベツレヘムで生まれる預言は、そのまま成就しました。中心都市エルサレムでなく、近郊の小さな村ベツレヘム。 そして、彼は王宮ではなく家畜小屋で生まれたのでした。 人には弱く取るに足りないと思えても、神の素晴らしい選びにあずかったベツレヘムの記事は、私たちにとっても励ましです。 日本のクリスチャンが少数派だとか、あるいは私たちの教会を「小さな群れ・・・」と卑下する必要はありません。むしろ、神様はこの世の常識とは異なり、弱い者を選び、守り、恵みを与えてくださる方です。 ベツレヘムが神の選びと恵みに預かったように、私たちも選びと恵みに預かっています。この特権を、どうして隠しておけるでしょうか。 祈り: 「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。(ローマ1:16)」 神様、パウロのように、私も福音を恥とせず、恵みを流すことができますように。家族や知人の中で最初の信仰者として選ばれた___さん、___さんに大胆な勇気と主の力を与えてください。私も同じようにしてください。 寒い中、被災地のために働く方々に主の励ましがありますように。現地の教会に、格別の支えがありますように。アーメン

ミカ4

「多くの国々が来て言う。『さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。 主はご自分の道を私たちに教えてくださる。 私たちはその道筋を進もう。』それは、シオンからみおしえが、 エルサレムから主のことばが出るからだ。」ミカ4:2 聖書の書かれた当時の舞台は中東です。 しかし、聖書は特定の国のためにだけ書かれた書物ではありません。 そして主である神様も、外国の神様ではありません。 「多くの国々が来て言う」や「もろもろの民(1節)」「多くの民族の間(3節)」などは、世界へのメッセージであることの表れです。 主は今日も、「ご自分の道を私たちに教えてくださ」います。「私たちはその道筋を進もう」と、今日の私たちも宣言し、歩みましょう! 明日は有名なメシア預言の箇所があります。 祈り:神様、時代や国を越えた聖書の真理を感謝します。自分の都合の良いところだけつまみ食いするのではなく、聖書全体の指し示すイエス・キリストをより近く知ることができますように。今日の私の歩みに適用できるよう導いてください。アーメン