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I歴代誌27

「土地を耕して畑仕事をする者たちを管理したのは、ケルブの子エズリ。ぶどう畑を管理したのは、ラマ人シムイ。酒蔵用のぶどう畑の産物を管理したのは、シェファム人ザブディ。」I歴代誌27:26~27 25節以降には、ダビデの耕作地と家畜の管理について書かれています。様々な仕事に携わる人たちが出てきます。 教会の日常管理にも、様々なものがあります。掲示板の張り替え、印刷機のインク交換、灯油の補充、洗剤やコピー用紙の発注、蛍光灯の交換、網戸の破れ直し、おもちゃの消毒、来客のベッドメーキング、木の枝打ち、草刈り、等々。 簡単なことばかりと思うでしょうが、上手な人がするとやはり上手なのです。特に草刈りは、年2回業者の方にお願いすると、見事な仕事で、会堂の害虫がぐんと減ります。 業者さんには、海外からの方もおられます。ダビデの時代と似ていますね。教会では中国語とベトナム語の聖書を用意しています。海外渡航が難しくても、直接宣教の機会が与えられているのです。 祈り:神様、様々な仕事にあなたが目をとめてくださっていることに感謝します。そして、日常生活でも思いがけない人との出会いがあります。その方々の上に、思いがけないキリストとの出会い、神の愛を知る体験がありますように。アーメン

I歴代誌26

「こうして彼らは、下の者も上の者も等しく、その父祖の家ごとに、一つ一つの門についてくじを引いた。」I歴代誌26:11 門衛についての記述です。東西南北の各門、倉、前庭、大路...。ある方角から見れば、正面になる場所、ちょうど裏側で見えない場所があります。日当たりのよいところ、日陰になるところ、通行人の多いところ、少ないところ、様々な条件の違いがありました。 それでも、彼らは上下の別なく等しく、家ごとにくじを引きました。主にあって 割り当てられた門を守りました。 私たちも、地域教会に集っています。教会は神の国を知るきっかけを与える入り口、道に面した門のようなものだと思います。 人間の集まりですから完全な教会はありません。良いところもあれば弱いところもあります。でも、主が私たちを今の教会に呼んでくださり、割り当て植えてくださったことを受け取ります。 祈り:神様、この教会に招いてくださったことに感謝します。欠けや弱さのある人々の集まりです。でも、キリストが頭であり、中心にいてくださることを覚えます。いつもキリストを見上げ、ゆるし合い支え合えますように。今年あった______のことも、主が整え導いてください。アーメン

I歴代誌25

「また、ダビデと軍の長たちは、アサフとヘマンとエドトンの子らを奉仕のために取り分け、竪琴と琴とシンバルに合わせて預言する者とした。仕事に就いた者の数は、その奉仕にしたがって次のとおりである。」I歴代誌25:1 賛美の奉仕者についてです。 ダビデ自身は王、軍人であると同時にすぐれた音楽家でした。(サウル王が不安定になるたび、ダビデは竪琴を手に取って弾きました;Iサムエル16:23。)多くの詩も作りました。 だから、ダビデは賛美の力がどのようなものかをよくわかっていました。軍事力にまさる大切さを知っていました。 今日でも、賛美の中に主の臨在があること、賛美にともなって預言や癒しのわざが起こることを覚えます。 心をこめて賛美する時、主がそれをささげ物として受け取ってくださいます。同時に、私たち自身が混乱し、どうしてよいかわからない時に、賛美によって心が整えられ、癒しを体験します。 今、目を閉じて、思い浮かぶ賛美を1つ、心をこめて主にささげてみませんか。 祈り:神様、頭の中が忙しさや悩みでいっぱいになってしまうことがあります。突破口は賛美であなたに心を向けることです。今ささげたように、賛美が私の習慣となりますように。アーメン

I歴代誌24

「レビ人の出である書記、ネタンエルの子シェマヤが、王と首長たち、祭司ツァドク、エブヤタルの子アヒメレク、祭司とレビ人の一族のかしらたちの前で、それらを書き記した。エルアザルから一つの父祖の家が選ばれると、イタマルからも一つ選ばれた。」I歴代誌24:6 アロンの子孫たちが組分けされ、くじを引きました。そしてその順番が記録されていきました。書いたものが残っているので、私たちは時代を越えて情報を手にすることができます。 教会でも、文書記録は大切です。毎週の週報を読むと、教会の流れがわかります。総会資料や記念誌は、作成時の人々にも喜ばしいものですが、同時に教会の歩み、歴史として後々の世代のためにも貴重な資料となります。 聖書自体も書かれたものなので、今もこうして神のことばを読むことができます。書くという行為を与えてくださった神様の知恵と恵みに感謝します。 祈り:神様、あなたのことばを手にとって読める恵みに感謝します。この1年もいろんなことがありました。記録や日記、メモを振り返り、あなたの御手を感じることができますように。心に感謝が生まれますように。祈りに覚えた____さん、_____さんに、あなたの答えと導きがあったことにも感謝します。アーメン

I歴代誌23

「安息日、新月の祭り、および例祭ごとに、主に献げられるすべての全焼のささげ物が、主の前に絶えず、定められた数で献げられることについても責任を負う。」I歴代誌23:31 23章からしばらくは、ダビデが任命した人々についての記述です。まず主の宮に仕えるレビ人たちが列挙されます。 主の宮の奉仕には、前で礼拝を司ることだけでなく、捧げ物の量や大きさを計ったり、数を数えたりする係もいました。いわばバックヤードの奉仕で、目立たないかもしれませんが、礼拝になくてはならない働きでした。 掃除、修繕、台所仕事...教会でも見えないところの働きがいろいろとあります。そして、どの働きも、決して小さいものではありません。「あの人のように○○ができない」と落ち込まず、神様が私に願っておられる働きは何か、それを見きわめて喜べますように。 祈り:神様、私を比較や劣等感から自由にしてください。あなたの与えてくださった時間、経験、性格、興味などを用いて、喜びながら宣教の働きに関われますように。アーメン

I歴代誌22

ダビデはソロモンに言った。「わが子よ。私は、わが神、主の御名のために宮を建てる志を持ち続けてきた。  しかし、私に次のような主のことばがあった。『あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたがわたしの名のために家を建ててはならない。わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。』」I歴代誌22:7~8 ダビデがしたいと願っていた宮の建設を主はとどめられ、息子ソロモンに託すようにと言われました。 主を愛し、主のために戦い、王国を確立したダビデ。宮を建てたいと、莫大な建材や資金を集めたダビデ。無念の思いもあったのではと推測したりもします。 モーセも、ダビデも、パウロも、ステパノも、志半ばで生涯を終える、あるいは方向性を変えるように導かれました。 私たちの生涯も、ハッピーエンドの「すべて完了した」とはいかないかもしれません。でも、神様がよしと言われたら、それでよいのだと受け取る姿勢を、主は喜んでくださるのでしょうね。 祈り:神様、思い通りにいかないこと、祈ったのに全然別の方向に物事が進んでがっかりすることがあります。あなたの導きは深淵すぎてわかりませんが、最善だと信じることができるよう、信仰を与えてください。アーメン

I歴代誌21

「ダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ、主を呼んだ。主は、全焼のささげ物の祭壇の上に天から火を下し、彼に答えられた。」I歴代誌21:26 1節には「サタンがダビデをそそのかした」と書かれています。第二サムエル記24章でも同じ記事が出てきました。詳細はともかく、サタンの誘惑によりダビデが神のみこころをそこなったことがわかります。 ダビデは祭壇を築き、悔い改めの祈りをしました(26節)。主は火をもって答えられました。罪で断絶された関係が回復しました。 私たちも、罪を悔い改めて祈る時、神との関係が回復されます。神が私たちに近づいてくださいます。御子をさえ惜しまずに与えてくださった神様は、私たちを愛し、一人も滅びることを願わず、関係を回復したいと今も願っておられます。 祈り:神様、あなたの愛と忍耐に感謝します。あなたが私を愛してイエス・キリストを送ってくださったことを覚えます。私の救いのためでした。クリスマスの恵みをかみしめます。今日も礼拝で、感謝と喜びを心から賛美し、あなたをあがめます。 「主は...だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです(2ぺテロ3:9)。」 アーメン 神様、あなたの愛と忍耐に感謝します。

I歴代誌20

「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ヨアブは軍勢を率いてアンモン人の地を打ち滅ぼし、ラバに来てこれを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。ヨアブはラバを討って、これを破壊した。」I歴代誌20:1 20章を通して、ダビデの快進撃が続きます。連戦連勝、無敵の王国でした。 しかし、ダビデが「エルサレムにとどまっていた」1節と2節の間に、バテ・シェバとの不適切な関係が起こったのでした(2サムエル11章)。 絶好調に見える裏側に、罪の誘惑や深い闇が忍び寄ることがあります。 「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい(1コリント10:12)。」 年末が近づき、夢中で働く日々かもしれません。でも、そんな時だからこそ、たとえ5分でも10分でも忙しく働く手をとめ、主に心を探っていただけますように。守っていただけますように。 もし悔い改める罪に気づいたら、その場で主に告白し、赦していただきましょう。 祈り:神様、ダビデでさえ罪に陥る弱さがありました。私も弱い者です。あなたに頼り、誘惑から守られ、善悪を判別できるよう助けてください。アーメン

I歴代誌19

「ダビデは、『ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう。彼の父は私に真実を尽くしてくれたのだから』と言った。そして彼の父の悔やみを言うために、ダビデは使者を送った。ダビデの家来たちがハヌンに悔やみを言うため、アンモン人の地に着いたとき、」I歴代誌19:2 ダビデの誠意と真心は理解してもらえませんでした。 かえって、ダビデが家来たちを偵察に送ったのだと誤解されました。 家来たちはひげを剃り落とされ、衣を半分に切られるという屈辱的な仕打ちを受けました(2サムエル10章にも同じ場面が記録されています)。 私たちにも、同じような経験があるかもしれません。 善意でしたことが、かえって相手の怒りや誤解を招いてしまうと、とても悲しくなります。多くは受け手である相手の問題ですが、傷つきますね。 そんな時、神様からの慰めと共に、理解し祈ってくれる信仰の友の存在が励ましです。 教会が、心から互いに祈り合い、支え合う群れとなれますように。 祈り:神様、今私は_________のことで心悩み傷ついています。あなたの癒しと介入を与えてください。 また、教会の____さん、_____さんを覚えて祈ります。次に会った時には祈り合うことができますように。おしゃべりだけでなく、あなたの解決に期待し励まし合えますように。アーメン

I歴代誌18

「ダビデ王は、それらもまた、彼がすべての異邦の民、すなわちエドム、モアブ、アンモン人、ペリシテ人、アマレクのもとから運んで来た銀や金とともに、主のために聖別した。」I歴代誌18:11 ダビデは多くの青銅や金銀を手に入れました。それらは、神殿建設のための聖別された素材となりました。 今日でも、神様は、さまざまな方法で必要を満たしてくださいます。そして、主のために用いる時、さらに必要が与えられる経験を、私たち個人も、教会もします。 教会では、宣教のための必要が先立ちます。そして、その必要が満たされるよう主に祈るという姿勢が大切だと思います。 時に神様は不思議な方法で満たしてくださいます...祈っていた物が与えられたり、海外の方から匿名の献金がささげられたり...。それらを聖別し、主の栄光のために誠実に、責められることなく用いていけますように。 祈り:神様、あなたがすべてを与え、人の心を動かし、必要を満たしてくださることに感謝します。教会の一人一人の生活をお守りください。主の前に誠実に歩む人々に、主の報いとねぎらいが豊かにありますように。アーメン

I歴代誌17

「彼はわたしのために一つの家を建て、わたしは彼の王座をとこしえまでも堅く立てる。」I歴代誌17:12 主なる神様は、この約束を違わず守られました。ダビデの家は絶えることなく、イエス・キリストへの系図として続いていきました。 イエスの十字架の救いを頂いた私たちも同じです。永遠のいのちはなくなることなく、滅びからの救いはとこしえに有効です。 家族、親戚の家系にも、この救いが入って続いていきますように。 祈り:神様、あなたの真実な約束に感謝します。初穂として救われた___さん、____さんのご家族が救われますように。 そして、私自身にも、家族に福音を分かち合う情熱を与えてください。福音を紹介する自然な機会を、あなたが備えてください。アーメン

I歴代誌16

「ダビデはそこに、主の契約の箱の前にアサフとその兄弟たちをとどめおき、毎日の日課として、常に箱の前で仕えさせた。」I歴代誌16:37  ダビデの任命したアサフ(37節)、ヘマン・エドトン(41節)たちは、詩篇の作者としても知られています。神の箱の前で、主を礼拝する働きが任務でした。 任務には、主に感謝の賛美をささげることも含まれました(7節~)。 私たちには、心が沈み落胆して、感謝や賛美をする気持ちになれない時があります。そこであきらめず、時には感謝の賛美を「任務」として考えてみるとよいかもしれません。 アサフたちも、体調や気分のよい日や悪い日があったはずです。でも変わらず主をほめたたえ仕える任務を果たしました。 私たちも、今日の16章8~36節や、詩篇の感謝の歌を声に出して試しに読んでみるだけ、という日があっても、よいのではないでしょうか。無理に繕わなくても、主はご存じです。そして沈んだ心の私がささげる礼拝や賛美をも、喜んでくださる方です。 祈り:神様、気落ちして、感謝や賛美が表面的に思える日があります。あなたが与えてくださった聖書の賛美を読むことがやっとです。そんな私の心を知ってくださってありがとうございます。弱い私たちですが、教会で互いの弱さを分かち合い、祈り合える信仰の友がいてくれることに感謝します。祈りをさらに開いてください。アーメン

I歴代誌15

「レビ人たちは、モーセが主のことばにしたがって命じたとおり、担い棒を肩に載せて神の箱を担いだ。」I歴代誌15:15 1回目に神の箱を移動しようとした時には、牛車に乗せました。ウザが素手で箱を押さえたので主の怒りがくだったのでした(13章)。 しかし2度目は違いました。レビ族がそれぞれの働きに任命され、身を整え聖め、賛美をしながら神の箱を運び上げました。心を尽くして主の臨在の象徴を喜ぶ姿でした。 今日、私たちの礼拝のスタイルは自由です。大切なのは、心の状態です。神様は心を見られます。たとえオンラインでも、一人でも、心を尽くして礼拝するなら、神様は喜ばれます さらに、教会堂まで来たなら、惰性でも上の空でもなく、与えられた恵みと祝福の機会を大喜びで感謝し、礼拝できますように。 祈り:神様、神の臨在をほめたたえるのは私たちの特権、恵みです。日曜の礼拝、日々の個人礼拝でも、心を注いであなたを礼拝できるよう、導いてください。私の心があなたに集中できますように。アーメン

I歴代誌14

「ダビデが再び神に伺うと、神は彼に仰せられた。『彼らを追って上って行くな。彼らに面と向かわず回り込み、バルサム樹の茂みの前から彼らに向かえ。』」I歴代誌14:14 ダビデは戦いの前に「神に聞き」ました。たとえ王であり、勇士であっても、これ以上に重要なことはありません。そして、「行くな」と言われた時に立ち止まることは、進むよりも勇気がいることかもしれません。 イエス様でさえもよく立ち止まり、父なる神様に祈っておられました。 「さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。(マルコ1:35)」 私たちは一日を振り返る時、「何をしたか」に目をとめがちです。しかし、より大切なのは「何をせずに」立ち止まり、祈ったかではないでしょうか。 祈り:神様、慌ただしい毎日です。でも、ばたばたせず、あなたに心を向け、静まって祈れるように助けてください。アーメン

I歴代誌13

「すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼を打った。彼が手を箱の上に伸ばしたからである。彼はその場で、神の前で死んだ。」I歴代誌13:10 厳しい箇所です。よかれと思って箱が落ちないように押さえたウザでした。しかし、荷車の運転が任務だった彼にとっては、素手で神の箱を押さえるのはしなくても良いこと、してはいけないことでした。 私がウザだったら、同じようにしてしまったかもしれません。 私たちは忙しくなると、あるいは疲れると、しなくてよいことをしてしまったり、言わなくてよいことを言ってしまったり、失敗をしがちです。 主が、今日するようにと言われることは何か、静まり、霊の耳をすまして聞くことができますように。 祈り:神様、あなたが私にするよう願っておられることに集中し、今日も歩めますように。余計なこと、しなくてよいことを判断できるよう、私の霊の耳を開いてください。私の口をお守りくださり、悪い言葉からも守ってください。 「同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟たち、そのようなことが、あってはなりません。(ヤコブ2:10)」アーメン