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創世記31

「『あなたがご自分の神々をだれかのところで見つけたら、私はその者を生かしておきません。私のところに何があるか、私たちの一族の前で、ご自分で調べてください。そして持って行ってください。』ヤコブは、ラケルが盗んだことを知らなかったのである。」創世記31:32 自信たっぷりのヤコブ。しかし、実はラケルがテラフィムを盗んでいました(19節)。ヤコブは危うく、愛する妻を失うところでした。 自分が正しいと思っても、知らないことや間違えていることがあります。全てを知っておられるのは神のみです。 間違えたときは率直に謝り悔い改め、互いに許しあい違いを楽しめたら、どんなに素晴らしいでしょう。 祈り:神様、あなただけが全てを知っておられることを感謝します。私を勝手な思い込みから解放して下さい。互いの違いを楽しみたいです。何よりも、みことばに聴き、謙遜な思いで歩むことができますように。アーメン

創世記30

「神はラケルに心を留められた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた。」創世記30:22 熾烈な競争がレアとラケルの間に続きます。ヤコブや子どもたちへの愛情よりも、ライバル心と所有欲が勝っているとさえ感じられます。 これは他人事ではありません。私たちも、家や車、子どもの成績、自分や配偶者の社会的地位、家系、学歴、能力や賜物を比較し、誇ったり落ち込んだりしがちです。 しかし、「心を留め」与えてくださるのは神だという視点なしに、満たされることはありません。すべては神のもの、私たちは管理をゆだねられているという視点を持つ時に、感謝と深い満足がやってきます。 祈り:主なる神様、あなたが万物の創造者であり所有者であることを覚えて感謝します。私たちを比較のわなから解放し、あなたが与えてくださっている恵みを受けとり、満足できますように。この瞬間の心臓の拍動さえ、あなたの恵みによるものです。感謝し栄光をあなたにお返しします。アーメン

創世記29

「主はレアが嫌われているのを見て、彼女の胎を開かれたが、ラケルは不妊の女であった。」創世記29:31 その地方には、上の娘が先に結婚しなければならないという風習があったようです。でもわずか一週間で妹が同じ人の妻となり、しかも自分より愛されているとわかったら、これほど辛いことはありません。気の毒なレア!でも主は忘れておられませんでした。そして、嫌われているはずのレアから、レビ(レビ人の家系)やユダ(イエスキリストの家系)が生まれたのでした。 祈り:神様、私たちは勝手な理由で他人の好き嫌いをします。誰かのことをを苦々しく感じるなら、私の利己的な面を悔い改めます。どうぞ広い心に造り変えて下さい。また、たとえ誰かに辛く当たられても、主が変わらず愛して下さることを感謝します。この主の愛に憩えますように。アーメン

創世記28

「すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。」創世記28:12 結婚相手を探すとはいえ、実際には兄からの逃亡の旅でした。どんなに心細かったでしょう。しかし、主はどこにいても共にいることを知らせてくださいました。 ヤコブは御使いが「はしご(階段)」を上り下りするのを見ました。私たちにも同じ主がおられ、仲介者キリストを通していつもはしごを上り下りするように祈りが聞き届けられています。 祈り:天の神様、この瞬間もイエス・キリストを通してあなたとホットラインでつながっていることを感謝します。心にあることを素直に話すことができますように。うまく祈れない時は、聖霊様が私に代わってお話しください。兄弟姉妹のそれぞれが、今日も主の臨在を実感できますように。アーメン

創世記27

「イサクは、その子に言った。『どうして、こんなに早く見つけることができたのかね、わが子よ。』彼は答えた。『あなたの神、主が私のために、取り計らってくださったのです。』」創世記27:20 約束の子としてアブラハムに与えられたイサク。その家庭も完全ではありませんでした。 父イサク:弟ヤコブが主の選びの器と聞いていたのに、自分が可愛がっている兄のエサウを祝福しようとしました。 母リベカ:イサクをだます作戦を練りました。「のろいは私の身にあるように(13節)」とまで言っています。 兄エサウ:だまされて激怒し、弟を殺そうとしました。彼が迎えたヒッタイト人の妻は、両親の悩みの種となっていました。 弟ヤコブ:ためらいはあったものの、母の言葉に沿って策略を実行しました。そのため逃亡しなければなりませんでした。 共通するのは、全員が自分の感情と判断に頼ったことです。もし誰か一人でも神の前に静まり御声を聴いていたら、違う方法で神の祝福が受け継がれたかもしれません。今日、家族のために、教会のために、学校や職場のために、主の御声を求めます。 祈り:天の神様、あなたの御声を聴きたいです。ざわざわする私の心をあなたが治め、私が御前に静まることができるよう助けて下さい。性急な判断から守り、みこころにかなった判断がができるように助けて下さい。アーメン

創世記26

「主はその夜、彼に現れて言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに。』」創世記26:24 …イサクは飢饉にあい、引っ越し、ゲラルでよそ者として住み、妬まれ追い出され、再び引っ越し、井戸を整備するたびにトラブルになり、そのたびに引っ越しました…。悪い出来事だけを抽出すると、このとおり苦労続きです。どこが祝福された人生なのでしょう。 しかし主の目には、私たちが日常直面するトラブルよりも、世代を超えた大きな祝福が見えています。アブラハムとの約束は、彼の死後も確かに続きました。私たちの祈りにも、主なる神様は世代を越えて答えて下さる方です。 祈り:神様、次の世代のために祈ります。私たちの子ども、孫、そのまた子どもがキリストと出会い、十字架の恵みを体験し、神に信頼して人生を歩むことができますように。教会の___さん(顔の浮かぶ人の名前)の子ども、お孫さんが福音を受け取れますように。私たちの祈りが、祝福の遺産となると信じて祈ります。アーメン

創世記25

「ヤコブがエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を侮った。」創世記25:34 疲れた時にふらふらと買い物に行くと、冷静な判断ができず変な買い物をしがちです。 疲れた時や追い込まれた時に、人は正しい判断ができなくなります。この時、エサウは野から帰って来て疲れきっており(29節)、「死にそう」(32節)でした。長子の権利を売るのは、財産や特権の大きな損失を意味していましたが、エサウはわずかな煮物と引き換えにしました。このタイミングですから、少し気の毒な気もします。でもここまで彼が疲れ果てていなければ、長子の権利を譲るのがみこころだとしても、もう少し違ったやり方になっていたのではないかと思います。 祈り:神様、疲れると行き当たりばったりの判断をしがちな私です。自分自身の日々の状態を見張る知恵を与えて下さい。 そして、主にあって愛する____(お名前)さんが今疲れておられます。彼(彼女)が主の元に憩い重荷を下ろすことができますように。回復と深い喜びを主ご自身から豊かに頂くことができますように。アーメン

創世記24

「そうして言った。『私の主人アブラハムの神、主よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。』」創世記24:12 忠実なしもべの姿がここに記されています。 まず主人の祝福を祈っていること(12節)。長年仕えていたので、彼はアブラハムの欠点や弱さも知っていたでしょう。それでも誠実に仕え続け、全財産の管理を任されるほどの(2節)信頼を得ていました。 そして、付け加えることも省くこともなく、経緯そのままを伝える誠実さ(34-49節)。そこには憶測や誤解の入る余地がありません。 私たちも、やがて主から「忠実なしもべよ」と言っていただけるように、このしもべから学び実践できますように。長年の人間関係で相手の嫌なところが見えた時には、非難や愚痴ではなく「祈り」に変えたいと願います。 祈り:主よ、私たちの口を守って下さい。「自分は宗教心にあついと思っても、自分の舌を制御せず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです(ヤコブ1:26)」。大げさなうわさ話や不確かな情報に惑わされず、自分の舌を制御できるよう助けて下さい。聖霊の力で、主に喜ばれる選択を一人ひとりが今日できますように。アーメン

創世記23

「その後アブラハムは、マムレに面するマクペラの畑地の洞穴に、妻サラを葬った。マムレはヘブロンにあり、カナンの地にある。」創世記23:19 書かれているのは、妻の死を悲しみ、墓地を探すアブラハムの姿だけでしょうか。畑地を高い値段で買わせるヒッタイト人とのやり取りだけでしょうか(彼らの慇懃丁寧な物言いには、からかいが含まれているそうです)。 いいえ。主が与えると約束されたカナンの地に、この瞬間最初の所有地が与えられました。神の約束が一歩前進したのです。そして、墓地には家族代々を葬る習慣がありましたから、子孫も葬りごとにこの地に戻ってくるという未来が現れています。サラの死という悲しみは、大きな大きな主の御手に抱かれていました。 祈り:「主の聖徒たちの死は 主の目に尊い(詩篇116:15)」。神様、どんな悲しみの中にも、あなたの深いご計画があることを信じ受けとります。教会の墓地の他、召天式、納骨式や記念会が、その度ごとあなたの栄光を告げ知らせる時となりますように。私たちの家族親族に、救いとリバイバルを起こしてください。アーメン

創世記22

「御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」創世記22:12 異国の偶像崇拝では子供をささげていました。しかしよりによって、愛の神がアブラハムにそれを要求されるとは。私たちはうろたえ、とまどいますーーもちろん、直前でとどめられ、息子イサクは助かったのですがーー。 これは「何よりも神を愛するか」というアブラハムへの信仰のテストでした。 何とひどい神か、辛すぎる、とつまずきを覚えるかもしれません。しかし、私たちのために、逆に神の側が同じことをしてくださったのです。ひとり子イエスを犠牲にされるという、考えられないほどの痛みと犠牲のゆえに、救いの道が開かれたのです。私だけでなく、あの人この人のためにもです。この原点に戻り、神の愛を受けとり実感することができますように。 祈り:神様、私たちを限りなく愛してくださり感謝します。「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか(ローマ8:32)」。あなたの恵みの中で今日も生きていきます。アーメン

創世記21

「神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。」創世記21:17 直前にハガルは「声をあげて泣いた」のでした。主人の思いのままにされたあげく見捨てられたのですから。不条理で悔しく情けなく、絶望的な状況でした。 ところが神はこの泣き声ではなく、少年の声を聞いた、と言われました。神にはハガルの泣き声も聞こえていましたが、それより大切なことを思い出させて下さったようです。それは彼がアブラハムの息子であり、アブラハムの子孫は増え広がるという神の契約でした。近視眼になりがちな私たちを、神はもっと遠大なみこころへといざなって下さいます。 祈り:神様、目の前の問題にとらわれて一喜一憂する私たちです。あなたのみこころが見えなくなることがあります。どうか私たちの目を開き、ハガルが水を見つけたようにあなたの恵みと導きに気づかせて下さい。今日主の恵みを数えることができますように。アーメン  

創世記20

「アブラハムは、自分の妻サラのことを『これは私の妹です』と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人を遣わしてサラを召し入れた。」創世記20:2 どこかで読んだような…。そう、エジプトに入る時にも、彼は妻に「私の妹だと言ってほしい」(12:13)と言いました。なぜ同じ失敗をするのか、と思います。でも、まさにこれは私たちの姿ではないでしょうか。やめようと思っても、同じパターンで考え行動し、神に喜ばれないことをしてしまいます。私たちは広い心で他人をゆるしているつもりです。しかし、7を70倍するまでゆるされなければならないのは、実は私たち自身です。 祈り:神様、罪深いパターンをつい繰り返してしまう私です。ゆるして下さい。私の思いを、口を、行動を、古い肉の性質から作り替えて下さい。御霊の実(ガラテヤ5:22、23)をいただいて、周りの人や主にある兄弟姉妹を、励まし建て上げる者とならせて下さい。アーメン

創世記19

「彼はためらっていた。するとその人たちは、彼の手と彼の妻の手と、二人の娘の手をつかんだ。これは、彼に対する主のあわれみによることである。その人たちは彼を連れ出し、町の外で一息つかせた。」創世記19:16 悪が満ち、罪深い風習で乱れていたソドムとゴモラの町で、ロトの常識も流されそうになっていました(8節)。それでも、彼のいくらかの信仰とアブラハムの祈りを、神は覚えておられました。 アブラハムは煙の上がる町を見ました。正しい人が10人もいなくてショックだったでしょう。ロトの安否も気がかりだったはずです。そんな中でも彼の祈りは聞かれ、ロトは生きていました。 祈り:あわれみ深い神様、あなたの愛と忍耐を感謝します。ソドムとゴモラと同じように滅びるしかなかった、罪深い私たちを救って下さいました。その背後には誰かの祈り、手をとって下さる神の愛がありました。福音を受け入れるかどうかは、いのちがかかる厳粛な事柄です。この事実を覚えつつ、今日--------さんのために背後で祈らせて下さい。アーメン

創世記18

「また彼は言った。『わが主よ。どうかお怒りにならないで、もう一度だけ私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは十人かもしれません。』すると言われた。『滅ぼしはしない。その十人のゆえに。』」創世記18:32 ソドムとゴモラが滅ぼされると聞いたアブラハムは、その町にせめて 50人、45人、40人、…10人でも正しい人がいれば滅ぼさないで下さいと主に嘆願し、聞き入れられました。甥のロト家族のいる町のためにとりなしたのでした。 私たちが家族や地域のために祈る祈りは、今日も神に覚えられています(主はサラの心さえ読み取られる方だから、拙い言葉で祈っても心配いりません)。 トンガ噴火をきっかけに、震災の経験がフラッシュバックされている方たちのためにも神様の守りを祈ります。 祈り:神様、あなたが私たちをとりなし手として今の家庭、地域、職場、学校、病院…に置いておられることを受け取ります。今いる場所、これから出向く場所に、救いと神の祝福がありますように。遠くても、心にとまる__(地域)のためにも祈ります。私にとって苦手な人のためにも祈れるよう、力と助けを与えて下さい。主が今日も兄弟姉妹を励まし送り出して下さい。アーメン

創世記17

「あなたがたは自分の包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなる。」創世記17:11 チェックリストに✔︎をつけると気持ちがよいです。でもチェックマークを書くこと自体が重要なのではなく、内容そのものが完了したということが最も大切です。 それと同じで、見える身体の割礼よりも大切なのは「心の包皮に割礼を施す(申命記10:16)」ことです。パウロも「外見上のからだの割礼が割礼ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼(ローマ2:27〜28)」だと説明しています。 キリストを救い主と信じ、罪を悔い改めて新しいいのちを得た人は、御霊による心の割礼を受けています。 祈り:イエス様を救い主と信じた時に、私は主のものとされ、救いが完了していることを感謝します。今週もこの恵みを生きることができますように。見えるものだけに気が取られそうな時には、聖霊様が私の心の目を開き、本当に大切なことに気づかせてください。アーメン