詩篇136

詩篇136−138、エゼキエル30−32

「…主の恵みはとこしえまで。」詩篇136:1〜26

26回も、「主の恵みはとこしえまで」と言う。主のわざ、なさったこと、素晴らしさの一つ一つが主の恵みによる。そしてその恵みが尽きないこと、ずっと続くことが歌われている。

さっと読むにはあまりにも大きく重い内容ではないか。
なぜ恵みが尽きないのか。なぜ神がこれほどまでに私たちによくしてくださるのか。それなのに、なぜ私たちは気づかず、神の思いに応えようとしないのか。

牧師は教会のトップではなく、むしろ番犬(シェパード犬)のように羊飼いなるイエス様の元で群れと共にいる。あるいは、羊の一匹かもしれない。その中で誰か羊が反抗して違う道に行こうとも、止めても聞かない時がある。人間的には悲しいが、神がそれを許されているなら、じっと見送り帰りを待つことも大切である。
また、何から何まで自分の責任だと思わなくても良い。神様がせよと言われたことをして、あとはじっくり群れ全体を見守ることが委ねられているのだから。群れ全体に気を配ること、気をつけていることであり、自分自身もキリストの望まれる方向から外れないように、心を見張ることである。