詩篇127

詩篇127−129、エレミヤ37−39

「主が家を建てるのでなければ  
 建てる者の働きはむなしい。  
 主が町を守るのでなければ  
 守る者の見張りはむなしい。」詩篇127:1


どんなに華々しいことでも、素晴らしく思われることでも、主がなさるのでなければむなしい。つまり、霊的には重要性があまりないと、詩篇は言っている。2節にも続いて、どんなに朝から晩まで必死で働いたとしてもむなしいと言っている。

反対に、主は愛する者に眠りを与えてくださるという。怠けているのではなく、平安で急がず、慌てず、比較せず、主と自分との関係で生きている人の平安である。
スタディーバイブルには、良い収穫は人があくせく必死で働いた成果ではなく、神が祝福してくださった結果だ、と解説されている。

もし畑の作物でさえそうであるならば、私たちの霊的な働き、牧会や宣教は一層そうである。他のクリスチャンや教会に比べて秀でているとか盛んであるとか、目に見えるものは重要ではない。神に信頼し、神の教会であるという原点に立つこと。そこから、新しい神のわざを見ることができる。希望がある。燃え尽きないで進むことができる。焦って大切なことを見失わないようにしたい。