ヘブル13

ヘブル13、エレミヤ27−29

「永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを、死者の中から導き出された平和の神が、あらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、みこころを行わせてくださいますように。また、御前でみこころにかなうことを、イエス・キリストを通して、私たちのうちに行ってくださいますように…」ヘブル13:20−21


私たちが整えられ、みこころを行えるようにというのがパウロの祈りだった。成熟したクリスチャンに全ての人がなれれば、どれほど素晴らしいだろう、と思う。それをさせてくださるのは、平和の神ご自身であるという。
いくら言っても聞かない、助言を受け入れないという人にも出会うことがある。こちらは苛立ったり落胆したりする。しかし、神にあって、こうした人も変えられる。そして、苛立つ私自身の忍耐のなさも変えられるということを覚える。

今私自身に必要なのは、もっと大胆になること。人を恐れないこと。みこころと確信して行ったら批判を気にしすぎないこと。主のために働く人生を楽しむこと。自分が邪険にされていると被害意識を持たないこと。いつまでも水面下だとひがまないこと。そして、

「金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足する」(5節)こと。お金を多く得ようとすることも貪欲だが、必要以上に支出を渋り、使いすぎないことも貪欲の危険性がある。なぜなら、必要を他者から得ようとしたり、いじましくなってしまったりするからである。
お金も持ち物も、全ては神様から来る。健康も、神が私たちに管理を委ねたものだと知れば、適度な健康志向に留まるのである。