ルカ23

ルカ23、1サムエル記1−3

「おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」ルカ23:41

イエス様と共に十字架にかけられた犯罪人の一人は、最後の時になって自分の罪深さとイエス様の正しさを、はっきりと自覚認識していた。もはや死刑となり、地上の人生は終わろうとしている。その時は、人の目にはもはや遅すぎるように思われる。しかし、神の目には遅すぎることはない。
なぜなら、永遠のいのちが約束されているからである。イエス様もこの後に、「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と言われた。
人は誰でも、イエスを主と告白するのに遅すぎることはない。80代、90代、死の間際であっても、救いの恵みは変わらない。

もっとも、それまでの過程で通る労苦や葛藤を思うと、救いの決心を若い時にすることの幸いもまた真実である。そして、神様は年齢が若くても、未熟でも、サムエルを愛しサムエルに語りかけてくださったように、私たちを愛し、私たちを導いてくださるのである。神様が地位や年齢、経験で愛し方を変えられることはない。
試練や問題がやってきた時に、祈りと神の平安、知恵を求めることができるとは、なんと幸いなことだろうか。