ヨハネ15

ヨハネ15、Ⅰ列王記1−2

「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。」ヨハネ15:7

スタディバイブルには、「キリストの教えを知り信じることなしには、私たちは正しく祈ることができない」と書かれている。経験からも本当にそうだと思う。一生懸命祈っているつもりが、みこころを正しく理解せず独りよがりな願いになっていたり、神様の良い計画に完全に信頼できていなかったりする。

もしみこころを常に願っているなら、祈ったことはすでに聞かれたという信頼と確信が出てくる。あくせくせず、マンネリもせず、神様のなさることにゆったりと期待して待ち、希望を失わず、見えないものを見えるようにして望むものとなるだろう。

牧会者としての祈りは、教会の兄姉が神様をより信頼できるようにととりなすことである。決して神様は祈りを拒否しておられるのではない。愛する者により良いものと人格・信仰の成長をもたらそうとして忍耐の期間を与えられていると受け取れるよう寄り添うことである。それぞれが社会人として生きている大人であることを尊重しつつ、今日も神の深い愛を体験できるようにと祈る者である。