投稿

伝道者の書7

「また、人の語ることばを いちいち心に留めてはならない。 しもべがあなたをののしるのを 聞かないようにするために。」伝道者の書7:21 ことばには力があります。ある人から言われて傷ついた言葉が心によみがえり、悲しくなったり腹立たしく思ったりした経験は、誰にでもあると思います。 伝道者の書は「人の語ることばをいちいち心に留めてはならない」と教えます。これは、ののしりや根拠のない批判など、破壊的な言葉から心を守るための知恵です。 次の22節には、 「あなた自身が他人を何度もののしったことを、 あなたの心は知っているのだから」と書かれています。ドキッとしない人は、これまたいないと思います。 箴言の「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ(箴言4:23)」が迫ってきます。心を主にあって守っていただきましょう! 祈り:神様、口は心が考えることを話します。___さんを傷つけたかもしれないことを赦してください。また、私を傷つけた___さんの言葉を、もう心に留めずあなたの御手にゆだねます。 私の口が、あなたの恵みと周囲を建て上げる良い言葉を流せるよう、今日も私の心をきよめ、あなたの愛で満たしてください。アーメン

伝道者の書6

「もし人が百人の子どもを持ち、多くの年月を生き、 彼の年が多くなっても、 彼が良き物に満足することなく、 墓にも葬られなかったなら、 私は言う。彼よりも死産の子のほうがましだと。」伝道者の書6:3 伝道者の書を読んでいると、むなしさについて考えさせられます。 すべてを手に入れ長生きしても、幸せと言えない人がいると言っています。 それは、与えられているものに満足しない時です。 あるいは、「墓に葬られない」時だといいます。 当時は、墓に葬らない人の霊は、行方を知らずさまようという考えがありました。今の日本でも、骨や墓をとても大切にします。そのこだわりの背後には、同じような感覚があるのだと思います。 キリストを信じる者は死んだら天国に行くのだから、肉体そのものはどこに葬られても大丈夫です。 しかし、教会の墓地が日本の言い伝えの中に生きている家族や知人へのあかしとなることもまた、事実です。教会に墓地があること、定期的に記念礼拝を行うことが、大きな安心と信頼、ひいては信仰につながることもあります。 お墓の問題に悩む人が多い昨今、どうにかして永遠のいのちの希望を知ることができますように。キリストにある解決を体験できますように。 祈り:神様、私たち日本人のお墓への思いをも、あなたは愛と救いの恵みに変えることのできる方です。 教会の墓地を、あなたの栄光とあかしに用いてください。多くの教会や信仰者の墓に刻まれた聖句が、主の栄光と永遠への希望を示しますように。 また、お墓のことで悩んでおられる___さん、___さんが、主の導きによりよい選択ができますように。 アーメン

伝道者の書5

「実に神は、すべての人間に富と財を与えてこれを楽しむことを許し、各自が受ける分を受けて自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。」伝道者の書5:19 聖書は、与えられた経済を楽しみ使うことを否定していません。働いて報酬を得ることを「神の賜物」とまで言っています。収入は、自分の力で稼いだ自分のもの、というよりは、神が与えた仕事で神がくださった賜物だ、ととらえています。 収入の多い、少ないにかかわらず、今あるものに満足して過ごす姿は、パウロを思い出させます。彼は「貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。(ピリピ4:12)」と言います。 10節には「金銭を愛する者は金銭に満足しない。 富を愛する者は収益に満足しない。 これもまた空しい」とあります。 額面の多い少ないにとらわれず、神が割り当ててくださる賜物なら、神がそれに応じたやりくりの方法や助けを与えてくださることでしょう(時には金銭以外のものや他者を通しても)...その信仰を持つことを、主は望んでおられます。 みじめな気持ちを持たないで、わたしの知恵があるよ、という主の声が聞こえてきそうです。 祈り:神様、私の日々の経済にもあなたが配慮してくださっていることを信じます。人と比べるのではなく、人間の計算だけでなく、信仰を与えてください。神の財政の原則に信頼し、祈りながら時には大胆に、時には節約して賜物を用いることができますように。アーメン

伝道者の書4

「一人なら打ち負かされても、 二人なら立ち向かえる。 三つ撚りの糸は簡単には切れない。」伝道者の書4:12 結婚式でよくメッセージされる聖句です。結婚が祝福であること、さらに二人が同じ神様の方向を見上げ、主と共に「三つ撚りの糸」のように歩むことの幸いが語られます。 このことは夫婦だけでなく、家族や友人との人間関係においても当てはまります。 そして、信じる者の集まりである教会こそ、まさに三つ撚りの糸の例だと言えます。 キリストが頭であり、定期的に集まって礼拝をささげ、互いのために祈り、励まし、建て上げ合う教会は、弱く見えても強いのです。 ペンテコステの日に聖霊がくだったのも、皆が一つところに集まっている時でした。共に主に祈り礼拝するとき、主のみわざが起こります。 今日のペンテコステ礼拝で、共に礼拝できることが心から楽しみです! 祈り:神様、私に同信の友を与えてくださり感謝します。___さん、____さん、___さん、____さん...。主が共にいてくださる人間関係の幸いを覚え、同じ聖霊が心に住んでおられる方々の存在を感謝し、あなたの栄光が現れますようにと祈ります。アーメン

伝道者の書3

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」伝道者の書3:11 日本では高齢の方が自分の将来を案じている、そして若い20代、30代の人でも老後の心配をする、すべての年代が老後を心配していると聞いたことがあります。 「老後はどうなるのだろう」だけでなく、「この状況はいつまで続くのだろう」「いつになったら祈りが聞かれるのだろう」という不安は、神様が人に「永遠」という感覚を与えてくださったからだといえます(動物は老後を心配しません)。 神のみわざのすべては見極められなくても、人間に永遠について考える心を与えた神様は、永遠のいのちの価値とそれを得る方法も備えてくださいました。 永遠の価値のあるキリストの救いを、ひとりでも多くの人が心に受け入れ、地上生涯の後のことに平安を持てますように。 祈り:神様、あなたのみわざが「時にかなって美しい」という約束に感謝します。私の将来も、あなたの備えと守りがあると信じます。5月最後の週末、外出を楽しむ人が多くいるでしょう。その中にキリストの十字架のみわざを知り、永遠の平安を受けとる人たちが起こされますように。アーメン

伝道者の書2

「人には、食べたり飲んだりして、自分の労苦に満足を見出すことよりほかに、何も良いことがない。そのようにすることもまた、神の御手によることであると分かっった。」伝道者の書2:24 毎日いきいきと生活している人は素敵ですね。 80代、90代になっても福音の喜びにあふれている伝道者やクリスチャンの方々がおられます。「多く与えられた者はみな、多くを求められ(ルカ12:48)」を体現しておられるのでしょうか、キリストに従い続ける姿に感動します。 同時に、その方たちは長年の人生経験を経つつも、より謙遜に、そして小さいことに感謝して生きておられることに気づきます。 「実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができるだろうか(25節)」を体現しておられるようです。私たちも同じ姿勢で、自分が楽しんでいることに神の守りの御手があることを覚え、感謝する者となれますように。 祈り:神様、あなたの御手が日々の生活の細部にまで届いていることに感謝します。今日も、小さな感謝の種、主のご栄光の現れに気づかせてください。アーメン

伝道者の書1

「空の空。伝道者は言う。 空の空。すべては空。日の下でどんなに労苦しても、 それが人に何の益になるだろうか。」伝道者の書1:2~3 今日から伝道者の書です。著者はソロモンだと考える人が多いですが、王で富も権力も得たイスラエルの王が「空の空。すべては空」と始めるので、驚いてしまいます。 でも、始まりの数節を通して、私たちが日々生きていることの意味は何か、と改めて問われています。 あくせく働いているなら、(身体は動いていても、考えは)立ち止まり、神様の思いにチューニングを合わせるように(ちょうどラジオの周波数を合わせるように)という促しを感じます。 いくつもの役割や働きに追われているでしょうか。人生の意味を考えた彼のように、これからの数日は立ち止まり、みことばを味わう自宅リトリートの時となりますように。 祈り:神様、あなたが与えてくださった人生を、あなたが願われるような生き方で過ごしたいと願います。目先のことにあくせくするあまり、大切なことを見失うことがありませんように。 進路の導きを祈っている___さん、____さんを、あなたのみこころの道へと導き、信仰を持った素晴らしい歩みを与えてください。アーメン

箴言31

「しっかりした妻をだれが見つけられるだろう。 彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。」箴言31:10 箴言の最後の章は、女性(レムエルの母)のことばが置かれています。女性が神のことばを教えていることから、これを根拠に女性が教えることを認めた例もあるそうです。 それはともかく、「しっかりした」女性を聖書はよしとしています。容姿やかよわさよりも、「しっかりした」女性が理想だという箴言のことばは、若くても年を重ねても女性の価値が変わらないこと、むしろたくましい存在になっていくようにとの励ましを受けます。 「主を恐れ(30節)」つつ、日々介護をしている女性たち、夫を見送りたくましく一人暮らしをしている女性、困っている人に親切にするあわれみ深い女性たちは...、たくましい、聖書の理想の女性像に近い人たちです。 祈り:神様、信仰者の姉妹たちを覚えて感謝します。介護をする___さん、ひとり暮らしの____さん、親切な____さん、日々働く____さん、...。主を恐れる女性たちの人生に、あなたの祝福と恵みがいっぱいに注がれますように。アーメン

箴言30

「むなしいことと偽りのことばを、 私から遠ざけてください。 貧しさも富も私に与えず、 ただ、私に定められた分の食物で、 私を養ってください。」箴言30:8 「貧しさ」や「富(裕福さ)」でなく、必要なものだけがある生活がよい、と述べています。続く9節には 「私が満腹してあなたを否み、『主とはだれだ』と言わないように。 また、私が貧しくなって盗みをし、 私の神の御名を汚すことのないように」 と続きます。 貧しさが困ることは容易に理解できます。しかし、富のせいで困っている人も多くいます。 断捨離、ゴミ屋敷問題...が言われて久しいです。いかに多くの人が、増えすぎた物や事に囲まれ困っていることでしょう。豊かなはずが、神を見失い、所有物さえどうしてよいかわからなくなる危険があることを、箴言は教えてくれます。 神様に頼り、祈りながら所有物や財産を管理するなら、知恵と節度ある麗しい生活ができることを思いつつ、暮らし方を再点検できますように。 祈り:神様、あなたが万物の所有者であることを覚えます。私が託された分を賢く管理できるように知恵を与えてください。「受けるより与える方が幸いです」とあるように、感謝し、適切に用い備え、循環させ、あなたの御名がほめたたえられるような使い方ができますように。アーメン

箴言29

「人を恐れると罠にかかる。 しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。」箴言29:25 「あの人がどう思うだろうか」「この人に嫌われないだろうか」 人の顔色を見て行動すると、何の根拠もないその人の気分に左右されてしまいます。 その人を喜ばせようとすると、別の人が気分を害したり傷ついたりすることさえあります。 ニュースで報道される賄賂や粉飾決算も、人を恐れて取り繕うとすることから起こります。何とかしようとして、罠にかかってしまうのです。 私たちの行動原理は「主を喜ばせるか」どうかであると聖書は教えてくれます。 「舞台に立つ時、キリストがただ一人の聴衆であると思うようにしています。キリストが喜んでくださりさえすれば、成功なのです」と言った人もいます。 人生の救い、永遠のいのちを与えるのは人ではなく、神のみができることです。主を恐れ信頼する歩みができますように。 祈り:神様、私は人の目や評価が気になり、恐れてしまいがちな者です。人を恐れてはらはらするのでなく、主であるあなたを見つめ、聖書の原則を思い出すことができるように助けてください。教会の一人一人が置かれている所に難しい人間関係があるなら、主にあって解決に至らせてください。アーメン

箴言28

「忠実な人は多くの祝福を得る。 しかし、富を得ようと急ぐ者は罰を免れない。」箴言28:20 「忠実な」という言葉から、どんなイメージを抱くでしょうか。 聖書の言う「忠実な」には、「しっかりとした、安定した、堅く、専念した、着実な」というニュアンスがあるようです。 ただ「指示待ち」ではなく、すすんで自発的に方向を定め、貧しい人や困っている人を見放さず、自己中心ではない姿が浮かんできます。 聖書の元々の「忠実な」は「アーメン(私も全く同感です)」という言葉とも仲間だそうです。正しい方向に同感である、そちらを選びとるという姿勢が感じられます。 今週も、神のみこころの方向に進めますように。もしボタンのかけ違いを感じる部分があるなら、正しい方向に舵をきることができますように。 祈り:神様、今週も私を「忠実な」歩みに導いてください。修正する面があれば教えてください。 今進路に迷っている___さん、___さんに、主の道を開き、みこころを明確に示してください。アーメン

箴言27

「鉄は鉄によって研がれ、 人はその友によって研がれる。」箴言27:17 人間関係に問題や葛藤はつきものですが、人は人を通して訓練され、整えられていきます。 欠点がぶつかり修正されていくというだけではありません。良いところが、鉄を研ぐようにより鋭く、より磨かれ伸ばされていくこともあります。 信仰者どうしの交わりも同様です。一昨日は大阪日本橋キリスト教会に伺い、幸いな時を過ごしました。 交わりは、お互いの励ましはもちろん、神の栄光を願うものでした。その場に参加できなかった兄姉にも祝福を持ち帰り、その祝福が流れていくことを信じます。 主にあって、ひとつ心で祈りあえる友の存在に感謝します。 祈り:神様、あなたがいつも共にいてくださることに感謝します。 信仰の友を与えてくださり、生い立ちや性格は違っても、ひとつ心で同じ主に祈り、主を礼拝し、神の栄光のためにと願うことができる幸いに感謝します。アーメン

箴言26

「薪がなければ火が消えるように、 陰口をたたく者がいなければ争いはやむ。」箴言26:20 学校でも職場でも家庭でも、時には教会でも、意見や考え方の相違から対立?が起こることがあります。 違い自体は悪いことではありません。それが反目や分裂を引き起こす時、トラブルとなり互いに傷つけあうことになります。 解決の糸口は「陰口をたたく者がいない」ことだ、と箴言は教えます。 ある人が陰口を控えることもあれば、陰口を言う人自身が取り去られることもあるでしょう。 表と裏を作りやすい人間の性質です。でも、二枚舌が神様に喜ばれないことだということを、肝に命じたいと思います。 祈り:神様、裏でこそこそと陰口を言うことが、すべてのトラブルの根であると学びました。今日、私自身が「陰口をたたく者」とならないよう、心と口をお守りください。もし陰口やうわさをしがちな人がいるなら、気づきを与えてください。サタンが混乱させようとしても、キリストの御名と力によって、教会を愛でお守りください。アーメン  

箴言25

「あなたを憎む者が飢えているなら、 パンを食べさせ、 渇いているなら、水を飲ませよ。なぜなら、あなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになり、 主があなたに報いてくださるからだ。」箴言25:21~22 憎む者に復讐するのではなく、主が報いてくださるのだということです。ローマ12:20でも引用されています。 かつて、「頭上に燃える炭火を積む」とは、熱い炭で相手を痛い目に遭わせることかな、と思っていました。でもそうではないようです。憎む者自身が誠実な扱いを受けて恥じ入り、悔い改めるようにということです。 自分に辛く当たる人が苦労すると「いい気味だ」と胸のつかえがとれたような気持ちになりがちです。しかし聖書は、あくまで愛を貫くように、復讐は神にゆだねるように、と教えます。 身をもって見本を示し、教えてくださったのがイエス・キリストです。「WWJD(What Would Jesus Do? イエス様ならどうするだろうか)」という問いに照らしながら、今日も判断ができますように。 祈り:イエス様が愛の見本を示してくださり、感謝します。その姿にならうことができるよう、今日も私の心と態度を助けてください。 急に暑くなりました。身体の弱さを覚える兄弟姉妹を熱中症から守り、健康を支えてください。性格や好みの違う兄弟姉妹にも、今日いっそう主の健康と祝福がありますように。アーメン

箴言24

「もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、 あなたの力は弱い。」箴言24:10 困難に直面すると、へこたれてやる気を失いそうな時がありますか?私にはあります。 しかし、聖書は「苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い」直訳では「力は狭い」と教えます。 「力が狭い」とはどういうことでしょう。もし、自分のできる範囲、わかる範囲だけで対応しようとしたら、限られた弱い力しかなく、「力が狭い」のだと思います。 そうではなく、神の力と知恵に頼り、希望を失わないなら「力が広い」と言えます。 24章には、 ・正しい人は七度倒れても、また起き上がる。(16節) ・それ(知恵)を見つけるなら、あなたには将来があり、 あなたの望みが断たれることはない。(14節) ともあります。主の助けのあるところには、希望と将来があります。主の目から見た今の困難は、私たちが「平安な義の実を結ぶ(ヘブル12:11)」ためのよい訓練となりえることに期待します。 祈り:神様、あなたの深遠なご計画の中で、今日も生かされていることに感謝します。気落ちして信仰を失わないよう、___さん、___さん、そして私自身を励ましてください。直面している困難を通して練り、「平安な義の実を結ぶ」者としてください。アーメン